ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

着たい服を着てるだけ悪いことしてないよ

ロゴスの小径へようこそ。

突然ですが私はピンクが好きで、

服も帽子もバッグもスマホカバーもPSPもw

ピンクばかりです。

 

先日スマホを充電中、

ACアダプターと充電ケーブルとスマホがピンクなのを見たときは

さすがにどうなの?と思いましたがw

 

高校時代からずっとピンクが好きで

いまだにやめられません。

まあ、そういう芸人さんもいらっしゃることだしw

死ぬまできっと好きなんでしょうね。

 

ところで、

人は「年齢に合った服を着る必要」があるのでしょうか?

 

私はデザイナーという職業柄もあり、好きな服を着て生きて来ました。

 

けれど、たまに

「ピンクの帽子?!」なんて言われることもあるわけですw

 

「似合わないから」とか「見ていて不快だから」

 

だからやめてくれ、やめた方がいい、

 

と言われたならまだしも

 

「その年なのに」と言われることがほとんどですね。

 

それが不思議でたまりません。

 

しかも、TPOをわきまえるべき場所ではなく、

プライベートの場でです。

 

なぜいけないのか、

好きな服は着ないのか聞くと

 

「まわりに恥ずかしいから」着ないのだそうです。

 

まあ、そういう選択もアリかと思います。

自分の好きな服を着るということは

自分の意思を通すということでもあり

ある程度リスクがあるわけです。

 

周りの人がみんな黒を着ているなら

黒を着た方が無難ですし目立たないし。

 

目立ちたくない、リスクを負いたくない、考えたくないから

周りと同じ服を着る、という処世術は

大人な対応だし合理的だと言えると思います。

 

でも、例えばお葬式など、黒を着ないと失礼に当たらない限りで

 

リスクを負って自分の着たいものを着ている人を

批判する権利がその人にあるのでしょうか?

 

私に向けてではなくても、

「ママ友がこんな服を着ていた」なんて話も

耳にしたりもします。

 

そんな時はいつも

♪着たい服を着てるだけ悪いことしてないよ♪

 

と頭に浮かんでしまいます。

 

着たい服を着るというリスクを負って

 

他人に合わせるのではなく

自分に合わせる

 

それは思うより重要なことだと感じます。

 

流行だからという理由で服を選ぶ人を見ると、

服にとどまらず、いろんなことを

周りに合わせて生きていたりしてそうで怖いです。

 

まあでも、それも突き抜けて

流行をいち早く徹底的に取り入れてしまうような人は

やはりリスクを負っているわけで

 

流行を取り入れるのが悪いとは思いませんが。

 

悪いこともしていないのに人を批判するなら

 

羨ましい、の裏返しですね。

 

自分もしたい、でもできない、という。

 

羨ましくないなら、批判するほど気になりもしないわけです。

例えば私はスノボーに興味がありません。

スノボーだけではないですがw)

だから、スノボーをしている人を羨ましいと思わないのはもちろん、

あんなボード盛っちゃって、とかいう批判も当然ないわけです。

 

服で言えば

ジーンズなどにはあまり興味がないので、

ジーンズを履きこなしている人をみても

羨ましいとも思わないと同時に、あんなジーンズの履き方しちゃって、

なんかも思いもしないわけです。

 

反面、フリフリの服とは本当は大好きなんですよ、私w

でもさすがに着れません・・・理性が許さなくてw

 

だから、年とか見た目とか関係なく

フリッフリの服を着ている人をみると、

うわー、とか思ってしまうわけです。

 

その批判の裏には

自分は着ることができない、

羨ましい、が潜んでいるわけですね。

 

愛情の反対は無関心、とはよく言ったもので

 

批判するのは自分の中にその要素があればこそです。

 

という視点で

 

あなたの服を批判する人をみると、面白いですよ!

 

もちろん服に限らずですが。

 

年をとっても嫌われてもやめられない

自分を動かす楽しいこと。

それって本当に大事だし、

それをしないなら自分の人生ってなんでしょうね?

 

しかし良い歌詞ですね、改めて考えると

プリンセス・プリンセスのDIAMONDS。歌詞は中山加奈子さんだそうです)

 

いかがでしたでしょうか。

 

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