ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を好きになる。

ロゴスの小径へようこそ。

雪、積もりましたね〜〜〜!
昨日は二回も買い物に出て雪を満喫。
誰も踏んでいない雪を踏む快感と言ったら!

雪だるまも作ったし
カフェで雪見しつつ本も読んだし
満足満足。

母からは「タダで雪が踏めるなんてね!」とメールがきましたw
確かに東京では雪がほぼ積もらないので、
雪を踏みたいなら旅行にいかないと、なので・・・


さて
大学に復学し
さっそく勉強再開。

好きな哲学書を好きに読むのとは違い
難解な教科書を読んでレポートを書かなくてはいけないんですが。

雪の中のあたたかいカフェで
あたたかいアールグレイを片手に
教科書を読む。

ああなんて
幸せなんだろう。

これ以上の幸せってあるのか?
お風呂でほわ〜っとしつつゲームするのと同じ、
いやそれ以上の幸せ!w


で、思考してみました。
なんでこうも幸せなのか。

それは


その瞬間の自分が「好き」だからです。

つまりね

「そうしている自分が好きだ」ということです。

ちなみに
勉強している自分が褒められるから、とかいうのではありません。

カフェで私が大学の勉強をしている、なんて
女子大生に見えない以上w
誰にもわからないわけです。

つまり誰も褒めてくれない。

しかもこの勉強が、仕事の役に立つわけでもなく
今後の人生のプラスになるわけでもない。
この知識が何かの役に立つわけでもなく
これを知らなくても生きていける知識です。

ちなみに今は「歴史哲学」を学んでいるのですが。

にもかかわらず

私はそれをしている自分が
好きでたまらないんです。

私が勉強をしているからといって誰も褒めてくれない、
それどころかそもそも
私が勉強していることをカフェの誰も知らない。

にもかかわらず私には

それが自慢なんです。

勉強している自分、
今まで知らなかったこの世界の成り立ちを
だんだん知っていく自分、が。

自慢であり愛しい。すげえよ自分、と思える。

当然、知っている人は知っている知識なんですがw

英語を勉強しているときもそうだったな・・・
誰もいない部屋で洋書を読む自分。
つまり、自慢でもなんでもないわけです。

にもかかわらず、
すごい!読めてる!自分すげえ!と

自画自賛できるわけですw

同じように楽しくても
ゲームで過ごす時間は
自画自賛、にならないんですよねえ・・・


これはつまり、
自分は自分であると同時に、
それを批判する他者でもある、ということ。

自分はなんらかの価値観で持って
自分を批判しているのです。他者の目で。

その価値基準は人によって違いますが、

自分の価値でもって批判して

いいね!

と思えた時


そのときこそ、自分を好きだ、と思えるわけです。

つまりね、

自分を好きになりましょう
幸せになれます

と言われても

自分を大好き!と
唱えても


実は違うじゃんw
そうならないじゃんww
そんなの欺瞞じゃん!w

でも
それは
他者としての自分、を意識できていないからです。

こんなことをしている自分が好き、という状況を
作れたら

自分が好きになりますよ。
で、幸せを感じてしまう。


幸せの意味ってこれじゃないだろうか。


ちなみに自分と他者としての自分、のあたりは
哲学では当然の定義というか問いなので
気になる方はデカルトあたりをぜひ。


自分を好きになれ、というけれど
なれないよ と思う方は

自分を好きになれることを見つけて、
それを実践してみるといいと思います。

そうでなければ
好きになれ、って言われても急に好きになれないですよねえw

幸せになれるから、この人のことを好きになりなさい、と

今まで好きでもなかった人を好きになれ、と言われても
好きになれないのと同じです。


なんでもいいんですよ。
でも、それが本当に自分を満足させるものでない限りは
欺瞞なので
結局自分は満たされません。




いかがでしたでしょうか。

更新の励みにしております。
よかったら応援クリック、よろしくお願いいたしますm(__)m


人気ブログランキングへ