ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「嬉しいこと」を創り出す

ロゴスの小径へようこそ。

「幸せ」になりたい。

誰もがそう望みますよね。
もちろん私もです。

けれど、「幸せ」っていったい何でしょう?

それは人によって違うもの、と言葉で言うのはものすごく簡単ですが
実際突き詰めると、幸せ、とはものすごく難しい定義です。

誰かの幸せ=自分の幸せ

とは限らないですし

今日幸せなことが、
明日も同じように幸せとは限りませんよね。

今日は暑くてアイスがおいしくて幸せ〜〜!
でも
明日は寒かったら、アイスを食べても幸せな気持ちになれないかもしれませんし

一緒にいるだけで幸せ、
だったはずが、何年か経つと・・・(笑)


先日大学時代の先生にお会いしたとき、
良いお言葉をいただきました。

幸せを見つけるのではなく、
「嬉しいこと」を見つけるといい と。

なーるーほーどーー!

と思いました。

嬉しいことがあれば、=幸せ、とも言えますし。


しかしここで うれしい、という言葉が気になります。

嬉しい、とは楽しい、とは違うのか?


調べてみると、嬉しいというのは、

自分が望んだことが期待通りになったときに使うというニュアンスがあるようです。

試験に合格して嬉しい であって
試験に合格して楽しい ではないですよね。

それは試験に合格することを望んで期待し、その通りになったからです。

普段ふつうに使っているはずの日本語も、定義を考えてみると難しいものです。


そう考えてみると、
嬉しい=願いが叶う=幸せ
とも言えますよね。

幸せ探しは難しい気がしますが、
嬉しい、を探すのは毎日できそうです。


そしてちょっと気づいたんですが

嬉しい

にも、サイズがありますよねw

今日は電車で座れて嬉しい

程度の嬉しい、もあれば

国家試験に受かって嬉しい

もあるわけですし。


考えてみると、嬉しい の度合いは

頑張った
もしくは

期待の大きさに寄るような気がします。

どれだけ自分がそれを欲しているかの度合い、

とも考えられそうです。



更に、

電車で座れて嬉しい、とか
プレゼントをもらえて嬉しい

のように、他人に寄るようなものと


国家試験に受かって嬉しい

のように、自分で作ることができる 嬉しい

があるように思います。


他人次第な前者と違って、
後者の 嬉しい は、自分で創り出せる 嬉しい ですから

ある意味確実ですよね。

もちろん内容はなんでもいいわけで、

今日の卵焼きはうまく焼けて嬉しい、の小さな嬉しいもあれば
仕事でいいアイディアが生まれて嬉しい、の嬉しいもありますし


もちろん、宝くじが一億当たって嬉しい

もありますが、それを創り出すのは自分の力とは言い難いですから

自力で創れる嬉しい、を確保しておくと
日々が楽しく過ごせるようになってくるのではないでしょうか。


まあそれはつまり、
日々なんらかの努力をした結果、ということに
繋がってくるわけですが。


もっと細かく分析していくと
もっと細かく、嬉しい、について思いつくと思います。


そんなこと考えてもしかたない、
ただ嬉しいと感じればいい

と言えばまあそうなんですが

こうして理論立てて考えていくと

普段、

嬉しいことないかなー
幸せになりたいなーと漠然と思って生きるより

積極的に 嬉しい を、
ひいては「幸せ」と感じる時間を

手に入れることができるように思いませんか?


・・・というように

思考の「方法」を考えるのが「哲学する」ということです。

哲学なんか意味ない、とまったく哲学を知らない人にはw
よく言われたりしますが


本当は生きることそのもののベースになることなんですよね・・・。


以前も書きましたが

失恋して、くやしくて相手を責めて泣いて叫んでも
相手は戻ってこない、どころがドン引きですw

戻ってきて欲しいなら
違う方法を探すべきですよね。
もちろん媚びるという意味ではなく。
(まあ、媚びて戻る程度の相手であればそれでもいいのですが・・・)


そんなわけでこのGW

ずっと手を出せなかった、制作の再開を
果たしました。

制作することは、なんというか
努力だけではできない部分ももちろんあるのですが

しかしやはり努力です。
気分が乗らないとか遊びたいとか他のことをしたいとか

そういう全てを横において
制作を無理にでも始めるのは、やはり努力です。


そうすると、日々の嬉しいことが、
格段に増えました。

それは、誰かに見てほしいとかそういう次元の嬉しさではなく

思い通りに描けた、という嬉しさです。

思い通りに、といっても、
描きたい完成図があって、それを再現すればできる、というようなものではないんです。
PCで描けばそれに近いかもしれませんが。

なんとなくこんな感じが欲しい〜〜

というような漠然とした、自分でもはっきりわからないような「美」を
とことん追求していくと

それが引き出せることがあるんです。
例え作品の中の、3cm四方の部分的なものであったとしても

それは目を離せないような自然の美のような
そういう美です。

それを創り出せてしまうわけです。

その嬉しさは、言葉では語れないような嬉しさです。



明日からまた仕事ですが

日々、何かしらの「嬉しい」を創り出せると

五月病をうまく回避できるのではないでしょうかw



いかがでしたでしょうか。

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