ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

あなたは、神を信じますか?

哲学の本当の深淵、虚しさを知ると
それを追求して生きるか
文学などで自分で世界を創作して生きるか
あとは神に縋るかしかないそうで。

おみくじをひくと、「神を信じれば救われる」的なことが
書いてあったりして。
もちろん信じる、と普通に思っていましたが、
よくよく考えたら本気で信じているのでしょうか?

本気で信じていれば、
むしろおみくじは不要です。
信じていればいいだけなのですから。

どれだけの、宗教に属していない人が
神を信じているのか?
いえ実際、宗教に入信している人でさえ
戒律をこっそり破ったりするそうです。
神を本気で信じたら、そんなことは到底できませんよね。
懺悔すればなんでも許される、のかもしれませんが。

本気で、心の底から神を信じたら
いっさいの不安も不満も全く何もなく
心穏やかにすごせるはずです。
誰に何を言われても
世界になにが起こっても
どんなに酷い状況にあっても、それを見ても
戦争や飢えで死ぬ人を目の前にしても

それでも神を信じているなら
神のおぼしめし、と笑えるはずです。

しかし到底人間にはそれができません。
いえ、できる人もいるのかもしれませんが・・・

あるいは
新興宗教の教祖様に入れ込んで、
命さえ差し出す信者も、ある意味それと同じかもしれません。
社会に被害が及ぶことを考えると
もちろん、自由意思、とだけは言えなくなりますけれど。

しかしたいていの人ができないのでしょう。
だからこそ、罪深い自分を知り、
救われたくて神を信じる、ということになるのではないでしょうか。

ところで
この世に起こることは全て運命であり、
神が決めたこと、とする考えは
実は楽な考えだそうです。

だって事実を受け入れる必要がないのですから。
良くも悪くもすべて神様の責任です。

自分が選び取ってきた事実を
神さまのおかげ、とか
神様は助けてくれなかった、とかに
置き換えて

自分で責任を取らないわけですね。

しかし
ほんの100年も前までは
日本人にとっても、神仏は当然のように存在していました。

しかし科学が発達した現代、
神様って実在する、と思っている人が
実際どれくらいいるのでしょうか。

ところであなたは、
犬という生き物がこの世にいることを信じますか?
人間には、男と女、という種類があることは?

当然ですよね・・・信じるも何も。
つまり、本気で存在していると知っていたら
信じるもなにもないわけです。

友人に、この世のものではないものが
見えてしまう人がいます。
そういう人にとっては、それは「信じる」ものではなく、
単にそこに実在するもの、です。

見得ないからこそ、
わからないからこそ、

信じる

という行為が必要になるわけですよね、
愛を信じる、というように!(笑)

さてしかし

そうした上で、やはり私たちは
神を信じるわけです。

もちろん哲学を信じる厳しい道や、
自分で世界を作る創作、つまり自分が神になってもいいわけですが。

今日、個展のために神社の絵をご神水で描いていると
涙が出ました。

そして決めたのです。
神を信じてみよう、と。

この信じる、とはつまり
なんちゃってスピのように、
本気で心の底からある、と思ってもいないくせに
信じる〜とか言ってしまうのとは違います。

つまり
無い、とわかったうえで
信じる必要がないほど、それが在る、と思えていないと
知った上での「信じる」です。

そうしないと人は生きていけない、という
「信じる」です。

ところで、
では神社には本当は何のパワーもないかと言うと、
いえ、あります。
もともとそういう場所に神社は建てられているからです。
磁場の強い土地、とも言われています。

そもそも、
杜に立ち
木々の空気を嗅ぎ
心が落ち着けば

それは既に「ご利益」であり、
神はそこにいる、ということになります。

うーん。
むずかしいですよね・・・

やはり気の効いた「ちょっといいこと」を
書けないでおりますが

神の存在を心の底から
「信じる」までもなく確信する、に至っていない、
宗教にも入信していない、

でも神を信じたい、というこの感覚、
わかっていただける方もいらっしゃると信じて(信じる、しかない!w)

理論してみました。

いかがでしたでしょうか。

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