ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自己満足


参道爛漫 (c)2010 瑠璃白

自己満足ではよくない、と聞くような気がしますが

ほんっっっっっとーーーー!に
自分が満足しているなら、それでいいような気がします。
誰がなんと言おうと、自分で自分に満足するなら
それこそ素敵な人生です。
いえそれ以外に素敵な人生なんかあり得ませんよね。

いくら他人に褒められても、自分で納得いかないことって
満足しませんよね。

自分に満足しきってしまうと成長が止まる、とも言えますが

短い期間、
その場その場では自分に満足、って
ありますよね。

100m泳げた!満足!

それから、200mを目指す感じで。

つまりサルトルの言うような
自己投企、未来にむかって自分を投げ込むような思考は
必要ではありますが

まあ、それも自分はそれをしなくても
今の自分に満足、であれば
それでいいわけです。

ただしこの「自己満足」は
本気でないとダメです。
本気の自己満足です。(短期間だけですぐ次の夢ができるとしても)

そうでない場合は自己欺瞞に陥る危険性があります。

例えば私は
ごく最近、自分の描く意味を見つけました・・・
といっても
「徹底的に自分のために描く」というのは
表面上だけ見れば
結局人に認められないから諦めて
自己満足するようにしてるんでしょ?とも
取れかねません。

もちろんそれも、心からの自己満足であれば
それで全くいいのです。

でも私の場合は違います。
それでは満足できないのです。

自分のために描くから
展示はもうしない
わけでもなく

むしろ厳しい課題を自分に課しています。
いままでの人生で一番難しい絵をこれから
制作するのです。

まなじ、イラストレーターとして
何十年もお金を稼いできましたので、

絵とはどういうものか、
どう描けば人に喜んでいただけるのかが
わかっているつもりです。

だからこそ
自分そのもの、といえるような作品は
敢えて描かずにきました。
つまり、自分の描く絵は全て、「販売用」だったのです。

画家ってそんなものじゃない!と思いますか?
画家はそもそもパトロンがいたり
宮廷画家として、好きではないものでも
描かされる、今でいえばやはり
イラストレーターのようなものでした。

日本画家にはもっと自由はありません。
師匠の絵、流派の絵を踏襲し
師匠が指示したところに描くような・・・
やはりイラストレーターのような存在でした。
もともと、ふすまや扇などに描き添えられたものか
もしくは宗教画です。
これは世界中だいたい似たようなものです。

ゴッホのように家族に養われながら
売れなくても(売れたかったのでしょうけれど・・・)
描き続ける。

画家って、なんだと思います?
描かないと死んでしまう人だそうです。

私はその意味はまったくわからなかった。
絵が売れないなら描かない、と思っているくらいでした。

でも哲学や宗教学を学び、
自分の人生を鑑みた時

自分には描くしかなかったんだ、と
改めて気づいたのです。
というと簡単ですが、
本当に消えたくなる、生きる意味のない虚しさを経て
いきついた今の時点での答えです。

なので、
描かないと死んでしまうような絵を
これから制作するつもりです、というか
既に取り掛かっています。

完成したらもちろん展示や
コンペを考えますが
それよりも描くこと自体に、
絵の世界の中に逃げ込むように
描いてみたいのです。

それでどんな作品ができるのかは
自分でもわかりませんが、
自分でも見てみたい。
自分の中の「それ」を。

なので、これを描いている時間自体が
自己満足であり
またこれが完成したら
評価はどうあれ、自己満足するはずです、いえ
するまで完成させません。

他人の評価はあとでついてくるもの、という
意味が
いまはよくわかります。
評価とは、他人に認められることでありもちろんうれしいのですが、

それよりも
自分で自分を本気で認める。

その経験、ありますか?

とはいえ
たまたま芸術的な目玉焼きが焼けた時
ものすごくきれいに掃除した時
絶妙のタイミングで電車に乗れたとき
ダイエットに成功したとき

誰も気付かなくても見てくれなくても
誰に評価してもらえなくても全然かまわなくて

ものすごい自己満足を
感じることありませんか。
それとまあ、同じようなものですw

あの一瞬の感動が
ずっと続くような感覚。
まあ、全く同じだけの苦しみもあるのですが
それもまた喜びでもあったりするわけで。


今のままの自分でいいんだ、
誰に認められなくてもいいんだ、と言う時

本当は今のままではいやだ、
本当は認められない、

でもそれができないから自分をごまかす、
のでは

またすぐに鬱々とした日々が戻ります。

自分を騙すくらいなら
他人を騙したほうが(犯罪ではない限り)
ずっとマシです。

夢をまだ追いかけているの?と聞かれて
恥ずかしいなら
あきらめてデザイナーになったの、と
まわりを騙せばいいんです。

でも、私はやっぱりデザイナーがむいていたんだ、
と自分を騙すと
心の空洞は絶対に埋まりません。

ところで強者は
まわりも騙しませんね。

まわりにどう思われるか、
より
自分がどうしたいか

が、彼らの生きる意味ですから。

私は画家になってまだ3年。
それまでの数十年を自己欺瞞で、
デザイナーとして、イラストレーターとして
生きてきました。

絵でお金を稼いでいるんだから、と
まわりを騙すだけならまだしも
自分自身も騙してきたのです。
好きなことで稼げるなんで幸せだ、と。

心の空洞を常に抱えたまま
恋や
ワインや
出来得る限りの浪費で
埋めてきたのです、でも

実は埋まっていなかったのに。

日本画を描き出した時
これだ、とすぐにわかりました。
これが自分を埋めるものだ、と。

そしてここ半年で学んだ
哲学などの学び。
これで更に気づくのです。

うーん。うまく言えない・・・
でも、

評価を気にしない、と思えた時
それが本当に
自己欺瞞でないのかどうか
一度考えてみてくださいね。

いかがでしたでしょうか。
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