ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

疑うという自由。

「本当の自分」と出会うには
自分の中に深く潜るのではなく
実は他人との関係、いえ
他人の行動に自分がどう反応するか

その反応こそが本当の自分であると言えるのは
以前も書きましたが

もう一つ。
ハイデガーによると

自分を生きる、とは
答えの無いようなことでも
考え続ける(しかない)ことにある、

つまり、哲学的思考をすることこそ
ありのままの自分を探す方法だということです。

この世界は自分の見たまま、
与えられたままの情報を鵜呑みにし

一般的な自分を
一般的な、普通の人々の中に紛れ込ませて
生きていく。

しかしこの、
一般的な人、普通の人、という定義は
実はありません。
それは各人が漠然と自分の中に持っているもの
(もちろん幼少時の親などの影響もあるでしょうけれど)
ほとんど、マスコミや、まわりの人から聞いた
「一般」「普通」

これを私たちは一般的だと、普通、だと
思い込んでいるのです。

私は今日これを読んでびっくりしてしまいました。

マスコミや先入観には騙されないよう
吟味して生きることこそが
人間として生きる意味だとソクラテスは言います。
そして随分気をつけてきたつもりでしたが

私が思う
普通の人、
一般的には・・・
という概念は

それに自分が当てはまるか
当てはまらないかは別としても

与えられた情報というだけにすぎません。
国が違えば、一般、の定義も変わりますしね。

そしてこの世の中一般を
見たままの、聞いたままのそれだと疑いもせず

言われたままの一般的な行動を
疑いもせず選んで生きている人たち。

しかしそれでは
ありのままの自分には出会えません。

ありのままの自分に出会うには
吟味が必要です。

それは
疑うこと。

「本当にこれでいいのか、
本当にこの選択が、ありのままの自分の選択なのか」と。

しかももう答えが決まっているような
事柄についてではなく

それを選ぶことが自分にとって幸せなこと

という状態で疑うことが大事だそうです。

しかもそれはたいてい
考えても答えが出ないようなものなので
人は考えるのをやめます。

例えば
ずっと結婚したかった人と結婚できる

本当にこの人でいいの?
本当に幸せになれるの?

しかし考えても答えは現段階ではわかりません。

それでも考えること、
そして絶対に選びたい、と思うことで
「本当にこれでいいのか」と疑うことこそ
人間が自由である証なのです。

動物は、自分がしたい、と思ったことを
疑ってみたりしませんものね。

しかし
この、情報を与えられた世界をそのままにみて
与えられた情報の中で
与えられた「一般的」という定義で
生きてい限りは

本当の自分には出会えません。

ちなみにハイデガーはこれを道徳的観点から
「こうせよ」と言っているわけではないそうです。

もう絶対楽しいし、幸せだし、やる!
と決めたそのことを

これは本当に自分がしたいこと?
ありのままの自分が選んだこと?

マスコミに流行だ、と言われて選んだのではなく?
今年は厚底のスニーカーが流行る(と聞きました(^_^;))と
言われたから選んだのではなく、
あなた自らがそれを好きで選んだのですか?

世界の歯車のように生きるのか
あなた自身の人生を生きるのか。

まずは、ありのままの自分が
本当に選んでいるのか、立ち止まってみましょう。

このお話は次回に続きます。

いかがでしたでしょうか。
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