ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「理性」とは。

ロゴスの小径へようこそ。

古い映画なのでご覧になっていない方も多いと思いますが、
スターウォーズという映画に、フォースという言葉が出てきました。
訳は理力とされていましたがこれが当時からどうにもわからない。

人の心を読んだり何もしないのに物を動かしたりする不思議な能力。
スターウォーズの造語ではありますが、なぜ「超能力」ではダメなのか
ずっと不思議に思っていました。

ところで
理性、と言うとどういうものを想像しますか?

なにか自分を制するものとか
正義だとか正しいことだとか
そんなイメージありませんか?

理性的に、というと、なにか落ち着いて、とか頭で考えて、とか。

試しに「理性」で検索すると、
感情と理性を対比させる例が多いようですから、
うっすらそんなふうに日本人は思っているのではないでしょうか。
私もそうでした。

哲学を学び出し、日本人の、
理性という言葉の不理解から、西洋哲学を理解しきれずにいるという指摘を知り、
「理性」を理解したくて、カントの『純粋理性批判』にとりかかったわけですが。

カントによると、理性の他に悟性というものがあります。

悟性とは、この世で経験したすべての出来事から推測できたり知ることができたりする全てです。
人は死ぬ、とか種を土に蒔けば目を出すとか、海は塩水だとか、この世のもうありとあらゆるもの、法則です。

それに対して理性とは悟性の及ばないところでの
人間の考える力です。

具体的には
神のことや
死後の世界
など

経験で知り得ないことを想像し考える力。
悟性では及ばない、この世の力、法則の全てです。

中島義道さんの例を引くと、
砂に棒で円を描けるのは、悟性によるもの。経験でそれができると知っているものです。
空間に私たちは円を思い浮かべることができますが、それが理性です。

イデアに似ているような気もしますね。

しかし理性は悟性の延長にあるようなものであり、
まず理性ありき、ではない。

そう考えてみると、
フォースの力、は超能力ではないのがわかります。

この世の理の全て、
しかもそれは悟性では測りきれないものも全て含んだもの。
その力が理力=フォース。

まあ、観念なのであるかどうかは
解明はされてはいないのですが
映画(小説)の題材としては
素晴らしい設定ですよね。

これを知る人だけが
映画を見た時、ピンときてにやり、としたんでしょうね。
そして世の中にはそんなふうに
知っている人だけがピンとくる、
知的なジョークに溢れているんでしょうね。

ところで、この「理性」の意味を
日本人がこんなにも理解していないのは
日本人がきちんと哲学を学んでいないからですね。

哲学史、ではなく哲学。

人はなぜ死ぬのか。
なぜ生まれたのか。
神とは何か。
死後はあるのか。

そういうテーマに義務教育で触れないのは
日本だけだそうです。
宗教の授業とか公立ではなかったですもんね。

ごく近年、中学生の授業にも
こういう哲学(倫理学)をやっと取り入れてきているそうですが。

ところで、
経験し得るものがこの世の全て、とも言えるのに
なぜ悟性だけでなく、理性が必要なのか。

科学は時代とともに発達し
昔はわからなかったことも
今は科学的に解明されていることもあります。

悟性は、その時代によって限界があります。
人には理性があるからこそ、
その先の可能性を想像できるのです。

哲学の本を読むときに
理性、と言う言葉がでてきたら

私たちがふだん思っているような、
「冷静に」とかそういう意味ではないので
気をつけてみてください。

いかがでしたでしょうか。
励みにしております。よかったら応援クリック、よろしくお願いします(^_^)

人気ブログランキングへ