ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「隣人を愛する」意味

ロゴスの小径へようこそ。

あなたの隣人を愛しなさい。
きちんとしたキリスト教の教義も知らずに
そんなような思想のうわべだけがうっすら広まった世界に
私たちは住んでいます。

他人にやさしく。

親や学校でそんなふうに習いますが
それはなぜでしょうね?

まあ、もちろん見返りを期待してのことなんですが。

しかし見返りを期待しなくても
私たちは他人を愛します。

なんなら自分のことは後回しにして
他人のことばかり考えています。
(あ、この場合の 愛 は恋愛に限らずです)

それはなぜでしょうか。


自分を愛せない人は
その埋められない虚しさに
他人を愛するのだそうです。

よく、自分のことはどうでもよくて
相手に身も心も尽くす・・・なんてありますが
(これ、ドラマだけでなく本当に世の中には普通にあふれていますね)

あの状態がわかりやすいですね。

そうやって他人を愛する人
自分を愛せない人なわけです。

いえ、そういう特殊な人だけではなく

ほとんどの人は自分を愛せない。



ところで、この世で見ることのできない人間っているの
ご存知ですか?

目に見えるものだけが全てではない、
そう
この世には見えない霊が・・・

ではなくて!w

この世で見ることのできない人間は
たった一人だけです。

それは自分自身。

鏡で見れる、といっても反対ですしね。
反対にならない鏡や合わせ鏡をしても
鏡を見ている自分というのは

それを意識している自分なわけで
正確には他人を見るようには見れていません。

ビデオでも撮って(しかも意識した動画ではなく監視カメラとか?)
見てやっと姿は見れますが

声や、しぐさや、反応など

やはり他人をみるように自分を見ることはできません。

見ることのできない自分なのに

他人を見ても見えない、その腹の中の憎悪だとか
嫉妬だとか弱さだとかもろもろの汚いものが

自分の中にだけ見える。


自分はこの世界で
たった一人、

そういう「別のもの」とも言えるのです。

とても愛したい自分なのに愛せない。


しかたないので他人を愛することで
埋めてたんですねえ・・・


なんて悲しくて
なんて愛しい存在なんでしょうね、人間て。
(自分も含め)



他人にやさしい人ほど
実は自分にやさしくなかったりしてね。


それにしても私には

自分自身は見ることができない、というのが
衝撃的な事実でした。

言われてみれば当たり前ですが

生まれて死ぬまでの100年を

世界のいろんなものを見て生きていく。
自分以外の。




いかがでしたでしょうか。

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