ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

あなたの中にある「価値判断」

ロゴスの小径へようこそ。

世の中に
「かならず正しいもの」とか
「善いもの」というのは
この世に存在しません。

「中世」とされているヨーロッパでは
キリスト教、正確には教会が
それを決めていました。

太陽は神の創りたもう他地球の周りをまわり
それに反論するものには 死 です。

そんなふうに教会が決めたことが
この世の 良いもの であり、 正しいもの
でした。

しかし
科学が発達し、

どうも地球の方が太陽を回っているらしい、とか
そもそも地球は丸いらしい、とか

いくら教会が違うよ!と言っても
誰も信じなくなってしまったので

教会の信者が減ったのと同時に

それまで、誰かが決めてくれたルールにのっとって
生きていればよかっただけの人間も

自分たちで決める必要が出てきてしまったわけです。


何が正しいのか
正しくないのか

その全てを自分たちで決める。

とてもとても難しい問題です。


例えば

有名な例ですが

4人の人を助けるために
1人の人を殺していいのか?

など。

信者の方を助ける

というような倫理観は
現代の私たちにはないですよね。

どうしても判断しなくてはいけない場合

そしてその全員が自分にとっては他人だったりして
比較できない場合

やはり人数が多い方を助けるしかないのではないでしょうか。

遭難の捜索なんかもそうですよね。
二次災害を避けるために危険であれば捜索を打ち切ります。

大勢の命が引き換えになってしまうからで


私たちも通常は
人数がより多く助かる道を選ばざるを得ないのではないでしょうか。

というような倫理観も

哲学者の唱えた
功利主義という考え方にのっとっています。

なるべく多くの人が、行為の結果幸せになれるのを
ヨシする考え方で

私たちの倫理観の根幹にも
こんな思想が根付いていますよね。


では、
4人を助けるために、あなたが1人を殺す必要があるとしたら?

殺せますか?実際。

到底無理ではないですか?
誰かがやってくれればいいのにとは思えても

自分が助かるために、であれば
あるいは必死になるのかもしれませんが

その4人もその1人も全くの他人だと想定したら。


それは
あなたの中の

無実の人を殺してはいけないという倫理観が
働いているそうです。



1人を犠牲にして4人を助けるということは
全く同じなんですが

価値判断をする根本が違うので
違うチョイスをしてしまうそうです。



なにか決断に迷う時は
そもそもそれを判断している自分の大元のところに
目を向けてみると

自分が何を大事にしているのかが
わかるということになります。

ところで、
自分の中のその 価値判断の元になっている根源の部分

これ、どこから来たんでしょうね?


結局教育なんですよね・・・。

いまの私たちには戦後の欧米諸国の教育の思想が
みっしり詰め込まれていますから


日本人は変わったとか
武士の魂を失ったとか

当然ですね

何を大事にするかという根幹が
変わってしまったのですから。

そう考えてみると
教育がいかに重要かがわかります。


国民は、操作しやすいように規格化されて教育されているものです。

隣国を見ればそんな感じがすると思いますが
日本だって同じです。


自分の確固たる信念、みたいに思っていたものは

良くも悪くも
どこかの誰かの思想だったんですねえ・・・


でも人間は一人では生きられないので
そうするしか生きる道はないのですが。



大学に戻ったので
日々勉強しております。

より深く
小径に入り込んでいきます。




いかがでしたでしょうか。


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