ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

それは贖罪のためではないですか?

ロゴスの小径へようこそ。

お盆休みはドイツについて学んでいました。
避けていたナチスの歴史などにも触れることになります。
高校時代以来のような気がします。

映像を見たり、いろいろな事実を知りましたが
本当に心が重くなりました。



映像の途中で

先生が言われました。

「これでもう十分。これで理解できたと思います。
これ以上、これでもかというような映像を贖罪のために
見る必要はないです」


と。

そこでハッとしました。


もちろん私たちは戦争を知るわけもなく
なんの罪もないとも言えますが

しかしそれでも
苦しんだ人々に何もできない自分を思うと

まるで贖罪のように
必要以上に辛い思いをしてしまうことがあります。


何度も何度も何度も
別れの場面を思い出したり

残虐なシーンを何度も見たり


十分心の底から悲しみを共感しているのに

それから目をそらすと
まるでそれが罪になるかのように。





それともう一つ学んだこと。

何度も書いていますが

自分の人生は自分が決める。
誰になんと言われても嫌われても構わない。
好きに生きる。


それはやはり間違っていないと思っています。

犯罪で他人を傷つけない限りは。


けれどそれで負うのは責任です。

真夜中の誰もいない信号が赤だったら

もちろん渡らなくていいのです。



けれど、そのとき本当に車がこないかどうか
きちんと見まわして確認して渡る

というのが自己責任です。


もしそれが面倒なら

何も考えず赤だから止まる、青なら進む、を
すればいいんです。


ただし

もしかしたら信号は壊れていて
青だと思って進んだら
車の方も青になっている、かもしれません。

世の中の全てはそんな仕組みで出来ています。

もちろん信号だけではなくw



恐ろしい指導者を信じたりしない、と思っていますか?

けれど
すんなりテレビで聞いたコメンテーターの言うことを
そのまま信じたりしちゃっていませんか?w


自分で責任をもって生きるのは恐ろしくもあります。

けれど、
自分の責任を自分以外の誰がとってくれるというのでしょう。



その他
たくさんのことを学んだお盆休みでした。


皆さま
よい残暑を。




いかがでしたでしょうか。


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