ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自然を大切に?

ロゴスの小径へようこそ。

江戸時代から都内に残されていたという、古い林の木々が去年末に切り倒されました。
そのニュースがnetで流れていろいろ意見する人が多くておもしろかったです。


もちろん私も個人的には
樹を大切にすべき、と思えています。けれど

そんなに軽々しく言えないことであるということを知る程度には勉強しました。


樹を守ろう、と言うのは簡単ですし
なんだかいいこと言ってるように聞こえますがw


たとえば伊勢の遷宮
20年に一度、お社他を全て立て替えますよね?

そのたびに
樹齢400年ものヒノキの樹をはじめ

一万本以上のヒノキが切られるそうです。


これは、いいんでしょうかね?
樹を大切に、と言わなくても?

江戸時代より古い樹ですが?

何をもって

この木を切るのはよくて
あの木を切るのはだめ、とするのか?


そんな判断をどんな権利で出来ると言うのか?



そうなると一概に

木を大切に

と言えなくなります。



だから黙って自然破壊を見まもれ、というのではありませんよ?もちろん。


しかし物事のいろいろな局面を見た上での発言でないものは

なんというか・・・うん。


まあ、マスコミのほとんどがそんな感じの報道の仕方をするので

それに影響されちゃう人も多いんでしょうね。



学者や見識者の発言が
いつもどこか歯切れが悪くて保身的に感じるのは

保身的なのではなく

ものごとにはいろんな角度があることを
知っているからです。


なんて偉そうに言いますが
私も本当にそのことにここ数年で気付いた次第なので
お恥ずかしいのですが。



ところで本当に自然を大事にするとはどういうことでしょうか。


そうです。人間が立ち入らないことですよね。


スキーで山を開拓したり
温泉つきの旅館を山奥につくったり

それだって自然破壊です。

そこに行ってしまう人間ももちろん加担しています。
誰も行かないなら、それを造ろうとする人もいなくなるのですから。


里山は人の手が入らないと廃れるといいますが

里山」ですよ?
あくまでも人間の住む環境を考えた「里」です。


それは自然ではありません。


本当に自然を大事に、というのであれば

極力人間が触れないようにする


それしかないのですが。



まあ、それを知った上でも
自然は大事にしたいと心から思えてはいますが

やはり温泉もいっちゃいますし
伊勢にもありがたくお参りしちゃいますし



自分に都合のいい自然

を大事にしよう、としか
言えないのでしょうね。



しかしそうと知りつつも
実際人間が出来る範囲のできることを 実行している人は
素晴らしいと思います。


人を啓蒙したいなら
まず自分が実行、当然ですが

SNSはよくない、とSNSに書くというような矛盾をみると

大笑いすると同時にイラっとしてしまう私は
まだまだ修行が足りないのでしょうかw




いかがでしたでしょうか。
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