ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分とサヨナラ

ロゴスの小径へようこそ。

突然ですが、「死」といえばどんなことを考えますか?

家族や友達たちとの永遠のお別れ。
笑いあった日々ももう二度と戻ってこない。
あたりまえのように一緒に食事することもなくなる。

やり残したこと。
自分がもっとしたかったこと。まだ出来たはずのこと。

残していく者への気がかり。
残した物への気がかり。



忘れ難い見慣れた風景。

家や学校や町や、自分の部屋や。

あの日みた鎌倉の夕陽。
友達と海に月が道を作るのをみた旅先の夜。

海も山も川沿いの散歩道も

なにもかもが別れ難い。


風景だけではなくて

冬のこの凛とした空気でさえ

お別れ。

二度と深呼吸をすることもなくなる。


世界とお別れ。永遠のお別れ。



離れがたい 地球とお別れ。






けれど

まだありました。


そんなことを感じているこの自分、私ともお別れなんですよね。


自分に愛着があってもなくても

自分は自分以外を体験できないわけで
この世界の全てだった。

その自分とお別れ。



死を考えた時


家族や友達や地球とのお別ればかりに気がいってしまうけれど


自分とのお別れを
そういえば考えていなかった。


だからって自分を大事にとかいう
あまりにもうわべだけのことを話すつもりはないのです、もちろん。


そうではなくて


自分の人生の最初から最後までを過ごした
この自分と別れると言うことです。


これ以外、自分は何も持っていないのに。



当たり前といえば当たり前ですが

それに気付かずにいました。




自分が死んで
周りが悲しんで
それでも世界は何も変わらなくて・・・


という、世界の中の一人の人間としての自分 の視線で

私たちは物事を考えがちですが


逆側の視点、
つまり

自分を中心に世界を考える方が

本当はむしろ自然です。

(とはいえもちろんそれだけでは世界は語りつくせないのですが)


だってそれしか実際できないんですから。


180度反対から世界を見てみた時
自分との別れという感覚が

鮮やかに浮かび上がってきます。


かけがえのない人生、とか言いますが
かけがえのないもなにも

自分の人生しか人は生きられないのです。



自分とサヨナラする日は
誰にも確実にやってきます。


そのことについて深く思考していくと私は

結局

好きに生きよう、と


そこに辿りつくのですが
皆さまはいかがでしょうか。




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