ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

非社会的社交性

ロゴスの小径へようこそ。

昨日は中学の同窓会でした。楽しかったのですが
深く考えさせられてしまいました。

いい機会なので思考してみたいと思います。
ちなみに自分なりの答えにも辿りついていません。

一人哲学カフェという感じですw




まず
数十年ぶり!に会った友達もたくさんいて

とてもとてもうれしかった。楽しかった。
皆が私を覚えてくれている。
会ったとたんに記憶が蘇り、当時のニックネームをいつの間にか口にしている自分。

なんて幸せな時間。

一通りの昔話の興奮が終わったあとは
この再会でまた私は何かを得られるんだろうかというような期待もあいまって
とても幸せな気持ちになります。


けれど


二次会に流れて行きつつも
とたんに私は一人になりたくなってしまったのです。



もちろん体調を崩しているので
翌日や翌週の仕事のために無理をしたくないというのが
大きな理由で
結局一次会で帰ったのです。




なつかしいメンバーは
子供時代のキラキラのまぶしい時間とリンクして

まるでその場に生き生きとした
なにかこれから未来を築いていけるような「幻想」を抱かせます。


だけれども。


それは幻想です。


それぞれの歩んできた道、選択してきた道は
良くも悪くも
もう引き戻せません。

もうあの当時のように同じ種類の夢は
抱けないのです。


それに


「歴史」を賞賛するという虚しさ・・・つまり


「昔はよかった」なんて私たちは思いがちですが

実はけっしてそうではなかったはずです。

当時は当時で日々の深刻な悩みもありましたよね。

若かった分、もしくは今よりも深刻だったかもしれません。

イジメだって当時からあったわけですし
見て見ぬふりをした自分や

友達とのささいなことからのケンカとか

そういうことに気付いていくと
吐き気に近い感覚で
私は虚しさを覚えてしまう。


ここにあるのは何なのだろう


もちろん交流を深めていけば
またそこから今の自分とリンクする友情を育めるかもしれませんが。

それに
もう今から作ることはできない「幼馴染」という存在との時間は

なにか自分の生きた証のようにも思えて
やはり大事な繋がりだと心から思ってはいるのですが。




一番思ったのは


皆がなんて楽しそうにしているんだろうと感じてしまうこと。

もちろん私も楽しかった、うれしかった、でも

その感覚はせいぜい数時間で

あとはだんだん 勉強のこととか自分のことを思い出してしまう・・・
つまり一人になりたくなる。


なぜ皆あんなふうに底抜けに楽しそうなんだろう

それとも実は皆、私と同じように
一抹の虚しさ(もしかしたら失ってしまった時間とか、もどせない過去、とか
そういうことを思い出すから?)を内包しつつ

笑っているのだろうか



毎回同窓会に参加すると

この

誰かといたい けれど 一人になりたい

という奇妙な

カントのいう 非社交的社交性のようなものを

私は意識してしまうのです。




一次会はたいていとびきり楽しいけれど
二次会以降はなんというか

ああそうだ

皆お酒に酔っているからかもしれません!


私は酔うほど呑めないので


だから周りはあんなにも楽しそうなのに

自分だけ取り残されたような気持ちになってしまうのかもしれません。


一緒にいるとだから取り残されたようで寂しくて

とはいえ先に帰ればやはり取り残されたような気がして寂しくて




それに
あまりにも大人数で呑むと
いろんな話ができないこともあるかもしれません。


私は二人か数人で呑む方が好きなんだなあ・・・そこで
いろんな話を聞いたりしたり思い出話をするのは

想像しただけで夜通し語れそうだしw




過去という愛しい愛しい虚像。


これはもう作れないし壊せないから
大事な宝物です。

だから時々とりだして眺めたい。


けれどもうそれ以上の何かは作れないものなのかな・・・



でも本当はそれぞれが
いろんな悩みとか思考をしていて

けれど、そういうものは出さずに


その場の空気を楽しんで解散するという


そういう時間であり、それでいいのかもしれません。



何か発展的なものを期待してしまうのは
私の悪い癖です。それがいいことだというわけでもないのに。



いえ、やはりでも皆もそう思っているのかもしれない。


としたら

楽しさだけで埋まっているようにみえるその時間は

いったいなんなのだろう・・・



世界って実はそんな風にできてはいるんですけどね・・・w



いやいや、それともやはり私が変わり者であり
こんなふうに思考してしまうのがおかしいのでしょうか?


お酒に酔えないから
皆の輪の中に入りきれないような気がして
拗ねちゃっているんでしょうか?



考えたら昔は
吞み会では必ず最後まで残る人、だったのになあ・・・

友達と一緒にいたくていたくて。



群衆の中でふと
醒めてしまったような

まわりが映像みたいに見え始めて

その場に入り込んで楽しむという当然誰もがしている
そして自分もそうしていたあの感じには

もう私は戻れないのかな・・・



もしくは私は話しがしたいのかもしれません。

何をしてきたのか、今何をしているのか
聞きたい。

子供が何歳になったとかはどうでもよくて

今自分が何を思考して生きているのかを知りたい。



うん、いろいろ思考してみたら
やっぱ二次会行けばよかったー的な後悔もw
自分がどこか醒めてしまっているような感覚を残念に思っていることなども

まあいっか、という感じになってきました。

結局答えはないんですけどねw




いかがでしたでしょうか。
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