ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「目的」は必要ですか?

ロゴスの小径へようこそ。

生きるにあたって
「目的」が必要だ、とかひと昔前はよく言われていました。

確かに目的をもってそれに向かって生きるのは
ある意味「楽」な道ではあります。

目的があればそう考えないで済みますから。

大学に受かりたいなら勉強
痩せたいならダイエット

小さな範囲では誰もが小さな目的をもって生きていますよね。

買いたいものがあるから電車に乗って隣の駅へ

とかね。


しかし裏を返せばそれは
目的に縛られているとも言えますね。


もちろんそれで自分が幸せに感じるのであればそれでいいのでしょうけれど。

目的を持って
生きなさい

とか

目的を持って生きるのが正しい


とか

そんな定義はこの世界にはありませんね。
何かしらの宗教の教義内にならあるかもしれませんが。

目的を持っているからエライ、というわけでもありません。
もしそうだとしたら
他人を不幸にするという目的であっても、目的をもっているならエライ、と
言うことになってしまいますよね。

先日ノルウェーの哲学者(正確には倫理学者)の本を読んでいたら

「目的を持たないで、旅をするように生きる」

というような生き方が批判的にかかれていてぎょっとしてしまいました。


目的を持って生きるのが正しい、とする思想はキリスト教的です。
最後の審判」とか「死後の世界」を措定するのであれば
神様の国に行けるように
目的を持って生きるのが正しいと言えるのでしょう。
(説明だいぶ端折っていますが)

しかし現代で哲学を語る場合はたいてい
そういう宗教観は隣において語られることが多いのです。
だからちょっと驚きました。


東洋思想では
「旅をするように生きる」ことは、
死後の世界がある、と考えたとしても批判的には考えられていません。

むしろ、この世は仮の世界、
お釈迦様が遊びに降りてきたのが人間界です。
私たちは人間界を観光客のように遊んで旅して

そうして本来の場所に帰っていくというような思想だそうです。

(詳しくはひろさちやさんの本がお勧めです)


そういう視点で見ると

最近の旅行は、netで見た自然など観光地を
確認するのを目的としたような旅行が主流となってしまっているそうですが


旅は旅すること自体が目的であって
何か他の目的がある(例えば伊勢参り、など)生き帰りの道のことではない
と考えることもできますよね。


人生もまた、なんらかの目的のために「精進」して「努力」するものではなく、
(というか、そうであると言いきる根拠はない)

ふらっと歩く旅のようなものだということもできるのです。

どういう旅をするのが自分にとって心地よいかは
その人によって違います。


友達とワイワイの旅が好きな人
二人旅が好きな人
一人旅が好きな人

美味しいものが食べたい人
温泉に入りたい人

土地の歴史を知りたい人
珍しいものを見たい人
ただゆっくりしたい人


人生もまた
どう生きたいのかは人それぞれなのです。

・・・と、まとめるとキレイなのですがw


どう生きたいか、は自分の意思で決められるようでいて

実は時代や教育などに大きく影響を受けています。
考えてみれば当たり前なのですが。

人間には自由な意思がある、と昔はよく言われていましたが

幼少時の親の教育などが人間に大きく影響しているのは
現代ではよく知られていることです。

自由に意思決定しているようでいて

時代に影響受けていたりするんですよねえ・・・


忙しく働く方がエライ、とか
勤勉なことはいいこと、とか


そういう価値観は環境によっていつの間にか植え付けられていて
自分で自由に決めているつもりでも

決めさせられている

と言えることになってしまいます。


まあ、そういうのもすべて含めて自分、としか言いようがないのですが。


人生に「目的」と言われるようなものは、無い。
無いからこそ自分で決めるもの(もちろん決めなくても良い)


私は今まで常に、目的というものを意識して生きてきました。
無意味なことに意味を感じないというか。
ぼーっとしている時間を無駄だと思えてしまいますし。

でもそれは、私が育った時代が私に植え付けた意識です。

よおく考えると幼少時私はけっこうぼーっとしている子でした。
一人でいるのが好きで
一人でボーっとしていました。

と、幼稚園の連絡帳に書かれていたと親が話していましたw

私はもともとそんなような性格だったのかもしれません。


最近は意識して
旅に目的を持たずに

その旅を味わうようにすることにしています。

それは人生も同じ。

もちろんこれも「正解」ではないのですが


目的を持って生きるのがエライわけでも真理なわけでもないということ。

もちろん社会の中で生きているので
一定の範囲・・・例えば人を殺してはいけない、などはありますが

こう生きるのが正しい、というような
基準はないということ。


何かに追われるように生きることが正しいと考えがちな方は
この連休にそんな風に考えてみるのもいいのではないでしょうか。



いかがでしたでしょうか。

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