ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「目的」はいらない

ロゴスの小径へようこそ。

人生は目的を持って
それに向かってまっすぐ進んでいくのが良いこと

という宗教もしくはイデオロギー
信じて生きている人はいまだに多いですね。

最近の若者は目的も持たない

なんて批判するようなコメントを
テレビなんかでもたまに聞きますね。
たいてい大成功している団塊の世代のオジサンとか。

先日テレビのインタビューで
超有名なデザイナーの方が

今の若者は夢を持たない。
夢は本気になってそれを追いかければ必ず叶うんだ

なんて話されていてびっくりしましたが

あれをみて、じゃあ自分もがんばろう!なんて思う人は
いるんでしょうかね・・・

ある程度の年代の人はそういうのに心が動かされるかもしれませんが
時すでに遅しw
今から夢を追ってもなあ・・・

あ、それは私のことかw


大成功していなくても
目的を持って生きるのは正しいことであり

しかもそれは仕事で自己実現する

というのが正しい人間の生き方のように
思われていた時代に
(今もまだまだそういう風潮はありますが)
私は育ちましたので

それが正しいのだと思って生きてきました。

目的をもってそれに向かって。


しかしそれは

単なる思い込みに過ぎなかったと気づいたのは
わりと最近です。

もっと俯瞰して見れば

国民を勤勉に働かせるのがお国のためになるので
そういう人間に育て上げられていたということです。

戦争時には、喜んで戦争に行くような教育を子供にしますよね?
敵国を悪く教えたりして。

それと全く同じですね。

もちろんそれで幸せな人はそれでいいのだと思います。

けれどそれは
人にこうしろと言われたことを考えもせずに「良い」と思って
生きているということですよね。

人の思うままに生きて、死ぬだけ。

まあ、ある意味楽かもしれませんが。


ともあれ私はそれが嫌になってしまったわけです。

もう人生も半分を過ぎて

・・・
あ、そういえば!女性の平均連例は84歳だから自分もそれまで生きれる、と思うのは
間違った認識だそうですね。
平均寿命とは今年生まれた子供が何歳まで生きられるかの試算だそうです。
なので、生まれた年によって平均寿命は違います。
人生100年時代、なんて言われていますがそれはあと数年か数十年後に生まれた人たちの話だそうで
私たちには関係ないともいえるんですねえ!w
・・・

残りの人生をできるだけ
好きなように生きようと決めているのです。

それでまず
目的を目指すように生きるのをやめよう、と。

例えば私は旅行が好きですが
考えてみたらふらふらっと宿も決めずに旅に出るわけではなく

泊る宿を徹底的にリサーチして決めて
行きたい場所も決めて

そしてすべて自分の予定通りだったなあと
満足して帰ってくるような旅のしかたです。

まあ、それはそれで楽しいのでいいとも言えますが

ところで人間を変えるものとは
「驚き」だそうです。

今まで知らなかったようなことを知った驚きで
世界は一変しますよね。

そういえば旅に出てそういう驚きに出会っていない気がします。
netで景色も確認してから行きますからねー

昔はせいぜい旅行本くらいでしたから
足袋は驚きに満ちていたわけですが

旅をも目的、にしてしまうと
それは旅というよりイベントですね。

(繰り返しますがそれで楽しいならそれでいいのです)

そんな風に考えると
私のいろんなことが、「目的」に満ちていることに気づきました。

しかも「大学に受かるため」など
他の何かのための暫定的な目的でもないのに。

謎の目標設定をせずに旅するように生きるには
少々練習というか意識が必要なようです

と考えてぎょっとしました。

目的を持たないように生きよう

を目的としているような自分に気づいたからです。

オソロシイ呪縛。

生きることに目的などはない。
だから虚しいとも言えるわけですが

もともとそんなものは無いのです。

あると思い込んでいただけ。

もし生きることに確固たる目的がある、としたら
それは宗教的なことでしか表現できないでしょうね・・・

だって死ぬだけなんですから。

けれど
それを虚しく思うこともないのです。

人生は遊びと同じだそうです。

遊びに目的なんかないですよね。
それ自体が遊びなんですから。


漠然としてわかりにくいかもしれませんが

こういう時私は寅さんを思い出します。
父親が寅さん好きだった影響が大きいですが

寅さんの生き方こそが
目的を持たず、自分の好きなように旅をするように生きる
というような生き方のように思えます。

恋もそうですよね。寅さんは結婚という「目的」に向かって恋をしたりしません。
毎回マドンナが変わってもいいわけです。

もちろん実際は真似できないですがw

でも、ふと立ち止まって考えると
ああそうか、と思えたりします。


そういえば
昔は読書が大好きでした。小説を読むのが。
しかも純文学とかではなくw

ある時からそれは無駄な時間に思えて

英語の本だけを読んだり
哲学書だけを読んだり

いまだにそれは続いていて
漫画も好きだったのに読んでないですね・・・

「目的」には不要なものだと思えてしまったからですね・・・。

もちろん生活に支障が起きるほど
好き勝手に生きるのがベストとは思いませんが
(一生遊んで暮らせる資産があれば可能ですが)

目的をもってそれに向かって生きるということに

実は大きな意味はないということ
(宗教に帰依されている方には意味はあるかもしれません)

今まで目的で自分を縛り
目的が叶わなかったことで自分を責めてしまうような人には

少し考えてみてもいいのではないかと思う昨今です。