ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

生きるということは体験するということ

ロゴスの小径へようこそ。

今朝だったか昨日だったか
テレビでたまたま見かけたのですが

俳優の藤村 俊二さんが亡くなられる前にこう話されていたとか。
(正確ではないですが・・・)

「人生はたくさんのものを得ることが幸せなのではなく
たくさんの体験することが幸せなんだ」


いろいろ考えさせられます。

たくさんのものを得ることができた人だから
そう思えるとも言えますし

たくさんのものを得ただろう人がそういうのだから
間違いないんだろうな

とか。


どちらにしても私たちは生きてそして死ぬ。

死んだあとは何も持っていけません。
お金やものだけでなく

思い出も。

としたら

何が大事かというと

「今、感じること」ですよね。

そしてたくさんのことを経験するには

何かを始める必要がありますよね。


何かを始めるのは面倒です。
でも、始めた人だけが体験できる世界というものがあります。

最も、誰かの作った世界の中でもいいのであれば
バーチャルな体験もまた体験ですね。

ドラクエ(私はFF派でしたがw)をしたことが無い人には
その世界の体験は人生になかった、ということになります。

漫画や小説を読んだことが無い人には
その世界の体験はなかったことに。

映画も同じです。
アニメだってそうです。

立って動き回るだけが体験ではないということですね。

ただし


誰かの創作の世界の中

という規定付きです。


それがいけないことというわけではありません。

どのみちこの世界も
誰かが創ったお金で
誰かが創ったシステムの中で
生きているわけですし


イタリアに行ったことのない人生でも
テレビやネットでたくさん見たりして
(もっとリアルな体験も今後可能になるでしょうし)
それでもいいや、と思えるならそれでいいわけです。

本人がそれでいいんですから。


ただ、私は最近思うんです。

この世界が死ぬまで体験できるアトラクションなのだとしたら

できるだけたくさんのアトラクションを体験した方が
お得なのかな、と。

お金のかからないアトラクションもたくさんありますし。

体験、というと

旅行だとか
習い事だとか
スポーツだとか

やはりそういうのを思い浮かべますが

なんでもいいんです。


体験から人との出会いも広がります。

もちろんゲームの中であっても。


出会いは大事、なんて陳腐な常套句に感じますがw

もし人との繋がりがそんなに大事ではないように実は思えてしまう方は

出会う相手が違うからかもしれません。


例えば私は大人になってから大学に入り
そこで出会った学友たちや先生方とのコミュニケーションは
本当に楽しくて


それまで実は
人といてもどこか心の底で楽しくない
なんだか自分って浮いてるよなー

とか感じてしまうことが多かったのですが


いつまで話しても楽しく涙が出るまで笑えたりして

あ、自分が変なんじゃなくて
集まる仲間を間違えていたんだ、と思ったり。

ちなみに自分が変わったということが多少あるにしても

やはり
やっぱりなんだか自分が浮いているなーと思っていた集まりに参加すると
依然として自分は浮いてるなーと思えたりするので


その集まりがいいとか悪いではなく
合うか合わないか、なんですけどね。


学生だと学校内の付き合いがほぼすべてになってしまうので

そういう仲間が見つけられないと辛いし
多少皆にすり寄って合わせるしかない部分もあるかと思いますが


あ、話がそれましたw

そんなわけで

犬の病気のことで哲学カフェ参加を休んでいましたが

また復帰しようかなと思っています。


大学の勉強や、カルチャーセンターでの勉強はもちろん続けますが
哲学って勉強だけになっては偏ってしまいます。
頭の中で考えたことだけで世界は完結しないですから。


とかこういうことを考えずにはいられない人たちが
いてくれるというだけで

なんだかうれしくなっちゃうんですよね。



なんだかオチがないですかw

このブログは少し力を抜いて続けようと思う今日この頃です。


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