ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分の幸せ、とは

ロゴスの小径へようこそ

とてもうれしいことがありました。
ちょっと反応が掴みにくかったこのブログに対して、コメントをいただけたのです!ありがとうございます^^
それで、このサイトでもコメント欄をオープンすることにしました。(承認制です)

哲学とは、「生きる事(死ぬ事)」ってなに?幸せってどういうこと?を
信じる信じないのレベルではなく、
現代に成り立っている理論から解釈することで頭を整理し、より善く生きていく方法です。
(つまり科学の進歩によって変化するものでもあります。)

ところで、望む自分になりたい、と思って
スピリチュアル本や成功哲学の本を読んでも
「心から信じることができないと効果がありません」
みたいな記載をみてがっかりすること、ありませんか?

私はありました。
うまく行かないのは信心が足りないからかな、とか思ったり。

スピリチュアルの本(説)でも、哲学がベースになっていることは多々あります。

例えば
「幸せは自分の中にしかない」
とか。

言葉ではそりゃそうですが、
なにか諦めて生きろと言われているみたい…
そんなふうに割り切れたり、心穏やかになれればいいけど
私には無理。
ちょっと宗教的で引けるし
説教めいていて 何様?!という気もする。

・・・のは私だけでしょうか(笑)

ところがこれ、哲学的、
つまり現代科学の最先端の知識でもっても
正しいんです。
哲学は論理が成り立つものですから、
信じるも信じないもなく、真理なんです。

この説明もなしに、スピリチュアル的に言われても、
心が素直で言われたままをありがたく受け取る人って実は限られていると思います。
また信じたつもりでもすぐに忘れてしまいますwww

なぜ、その科学的根拠をスピリチュアル的な思想では説明してくれないのか?
それはそれを語っている人自身が不勉強で、
「スピリチュアル的なメッセージ」とだけ受け取っていて、
その根拠を知らない場合がほとんどです。

成功哲学でも、そのケースもありますが、
成功哲学の場合は上質な本であれば(七つの法則、などなど)哲学のベースを踏んでいます。
その部分の説明をはしょっているのは、読者が一定以上のレベルであると定義しているからに思えます。

なので、そこを知らない人が読んでもフル活用できないんだ

と私も最近気づいたわけですが・・・(^_^;)


世界は自分が認識したものが全て。
例えば
誰も見ることのできない深海で、魚が一匹生まれたとします。

それは現象として、起こった、と言えますか?

起こった、と聞けば起こったと言えます。
でも誰も見ておらず、誰もそれを知り得ません。
知り得ないことは、あなたの世界には「無い」ということになりますよね。

そう考えると、自分の世界とはなんと小さくて狭いのだろうと驚きますが
自分の知り得る世界は小さい。

昨日の色の例の様に、その見えている世界でさえ
誰もが全く同じとは限らないわけです。いえ、
同じなのか、違うのかさえわからないのです。

そう思うと、
自分の幸せは自分の中にしかない

という定義も見えてきます。
それは、お金だけが幸せじゃない、とかそういうある種キレイゴトの話ではなく

幸せは、いえ幸せも不幸も悲しみも嬉しさもなにもかも
自分の中だけで感じるしかないもの、と言うことです。

他人が自分のために喜んでくれる
他人のために喜ぶ、はありますが
その本人と全く完璧に同じ感覚、というのはありえません。

そう考えてみると、
日々の辛いことだって結局は自分の中だけで発生しているものである、
と理論上では言えますよね。
だからってその辛さが無くなるわけではないです。でも、
理論上はそうだ、ともしわかれば
それは大きなヒントです。

実際、そこからどう自分の生活に落とし込んでいくかは
徐々にお話させていただきます。

ただこの観念が理解できないと、この先に進めないんです・・・
これが理解できれば、
今まで何十年も自分がそうだと思ってきた世界が
一気に反転します。

私はこのほんの一か月くらいの間、
何人もの人の世界観が

ばらり

と音をたてる様にしてほどけるのを見てきました。
自分がそうだった様に。

ところで、
先日書きました、
「子どもを欲しいと強く思ったことがない、もしくは
子どもがいても自分よりも常に一番にできない」
という哲学体質の方にありがちな条件について
詳しく知りたい、と何人かの方からおっしゃっていただきました。

それにはわけがあります。
本で読んだのと、自分もそう思った、というだけで確信が弱かったので
子どもを設けなかった友人に話を聞きました。
ちなみに彼女は子ども関係の仕事をしており、子どもが嫌いなわけではありません。

すると同じ答えでした。

この世に生まれた理由もわからず
(わかります、と言う人もいますが、科学者を納得させる様な
理論的な説明をまだ聞いたことがありません。
ちなみにきちんとした宗教で定義しているのであればそれは教義であり、科学とは違うので別(アリ)です。)
なぜ死ぬのかもわからない
選んで生まれてきたわけでもない
にもかかわらず、そういう「人間」を勝手に生み出すのが怖い。

私と、そして哲学の本と全く同じ理由でした。

種の保存の法則に逆らってまでそう感じるのは
思考する人間が増えた結果かもしれません。
昔は女性の教育程度も低かったですから、
大学で哲学を学ぶ様な女性など限られていたでしょうし。

ちなみに男性の場合は女性に比べれば子供を産むという行為がそこまで重いとは
考えにくいので、少し立場は違う様に思います・・・とは言うものの、
芥川龍之介の『河童』などを見ればその哲学的思考は顕著に現れているとわかりますから
男女差はわずかなものなのかもしれません。

子どもを産んだ、という人でも
とにかく子供を最優先にできない人が多い様に思います。
それは決して悪いことではなく、子離れができている、というか
むしろ
子どもであっても彼の幸せはまた、彼の中でしか作り得ないのですから
それで正しいのですが、
まわりのおかあさんの様に、とにかく子供を最優先にできないのを
少し気にしていたりされている方もいるな・・・と思います。

といって、その方たちは子どもに冷たい、とか言うわけじゃないですよ?

子育てのことは私にはわかりませんが、
とにかくどこか子どもに依存していない。もし子どもがいなくても、
いなければいないで楽しく暮らしているだろうタイプの人、という感じです。
私は好きですけどね。
子どももそんなおかあさんが実は好きだと思いますし。

欲しいのにできない、という方には本当に言葉もないですが・・・
友人にも何人かいます。身内にもいます。
けれどそれで離婚となった友人も含め、皆楽しく生きています。
つまり、自分の幸せは自分で決める、というか
それしかない、ということです。

そう。
自分の幸せは自分で決める

ではなく
自分の幸せは自分で決める「しかない」

が正解なんです。
だって他人のことはいっさいわからない。世界は自分でしかみれない。

これは、「他人からみた幸せではなく、自分からみた幸せが大事」
という様な、ああまたそれかーー!というw常套句ではないです。

他人から見た幸せこそ自分の幸せ、と思う人は
他人から幸せそうに自分が見える(と思ったとき)幸せになる

という意味です。

(と思ったとき)

と入れるのは、他人が自分を幸せと見ているかどうかは自分には判断できないからです。
「幸せそうね」という言葉はもらえてもその真意は永遠にわかりません。

ということは正確には

他人から「幸せそうね」と言われる自分こそが幸せ、と思っている

ということになります。複雑な様ですが、
世界は自分の観たもの以外認識できない、という観念がわかれば
理解は簡単だと思います。

いかがでしたでしょうか。

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