ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「お役目」「役割」って?

ロゴスの小径へようこそ

なんと!!皆様のお陰さまをもちまして、
三日前から始めたばかりのランキング、
カテゴリ5位にいきなり登場いたしました!!
ありがとうございます!うれしいです^^

セルフコントロールというカテゴリがマイナーなのかもしれませんが^^;
私は気に入っています。
自分の感情を自分でコントロールできれば
それだけでもう人生幸せ、とも言えませんか?!

一日だって辛い日を過ごすのは耐え難いですから
少しでも多くの方に知っていただき、もし少しでも何かのきっかけになれば・・・と
心から考えています。


さて今日は自分のお役目、役割について。

えー、またそれ?
世界を救うお役目、ってやつ?

まあ、その考えも悪くはないのですが、
根拠の無いことは信じにくい体質なので、今日は根拠のあるお話で。


状況は自分にとっては最悪
部屋を掃除しても朝日を浴びても
友達に相談してもいろんな本を読んでも
どうしても変わらない。固い石のようになってしまった心。

そこを、ほんの少し
「こんな考え方があったのか!」と気づくだけで、
ぎゅーっと固くなっていた心が、ばらりとほどける小さな小さなきっかけになると思っています。
それははじめは、固い石に針を少し刺してみようとした程度の刺激。
でも確かに、そこから固い石はほころんでくるのです。


あとは、そういえば子ども時代から
宇宙の事とかそんなことばかり考えていたな、とか
自分が実は哲学体質であると気づいたときは

そこからもうぼろぼろと鎧は崩れ

世界はこんなだったんだ!!!

と本当の意味で気づくことになります。


もちろん自分の見方が変わったからといって
実際の状況は変わりません。
でも、自分の見方が変わったということは、世界が変わったということなのです。

と文字で書くと気休めでしょ、という感じですが

固まった石のような自分、心をそのまま抱えて生きる自分と
そこからほころびるかもしれない針の穴が空いた石を抱えているのでは
本当に本当に大きく違います。


さて、では今日は実際の例をご紹介します。

モニターさんとして久しぶりに会った彼女は
非常に疲れていました。
一緒にランチにいったり旅行に行ったりしていた友達なのに、
忙しいのかメールの返事も滞る感じで・・・

理由を聞くと、
お母様の介護が始まってしまった、とのこと・・・

介護経験の無い私にはかける言葉もありません。
仕事も抱えていますから、どんなに大変なことでしょう・・・

本を読んでもなにを考えても心を入れ替えようとしても
心がイラついてしまうそうです。

それの助けになるかは私にはわからない。
でも、もしかしたら針の穴くらいにはなるかもしれないからと

哲学の話を始めました。
哲学体質だと感じていた読みどおり(笑)
彼女はするすると理解していきました。

「話はよくわかったし、自分の世界観が一瞬で変わった。」

でも。と彼女がいいます。

そのことがあっても、母親の存在は変わらない。
これはどう理解すればいいの?と。

たまたま前日読んだ池田晶子さん(哲学の執筆家)の本にあったお話をしてみました。

確かに世界は自分の見たものでしかない、
世界の「本当」というものはあやふやだ

と知っても
会社には行かなくてはいけないし、
おなかだって空くし、
やるべきことはある。

それは、その人の『役割』なんです。

と。

「役割か」

しばし考え込んだ彼女は、
そうか、役割ね。

それですぐに何かが解消するわけではない、でも
すごく楽になった!

顔つきが一気に変わりました。
確かに難攻不落な大きな岩のようだった悩みに
針の穴が空いたのです。

それは、固いつぼみが一気に花咲くようでした。
鳥肌が立ちました。

世界が変わった瞬間です。
それは、彼女にとっての世界を彼女が変えた瞬間。

一泊くらいの旅行なら行けるそうで、
いこう!ということになったり。

最後にはお礼を言っていただけてむしろ恐縮してしまいました。


そんな彼女をみてから、
私も『役割』ということについて考えさせられる、と言うか
その言葉に救われることになります。

私はいま絵を描くことの他に
デザイナーをしています。
デザイナーはもういい、絵だけ描いて過ごしたい。
それがスピリチュアルを頼りに私が歩き始めた道でした。

しかしそれから大学に編入したりすることとなり、
制作の時間が激減、デザイナーの仕事をメインにせざるを得なくなったのです。

本末転倒のような状況に悩んだりもしました。

でもそこで

ああそうか、これは私の役割なんだ

と思うと
一気に世界が輝きだしたのです。


役割かあー。
誰もが役割持ってるんだもんね、じゃあしかたないよね。
でも、これは役割であって、自分の好きでやりたいことだとか、
魂に触れる何かであることとは違うこと。
これ=自分というわけではないんだ。

つまり友人は、「親の介護をする人」というラベル
私は「デザイナー」というラベルを貼られて生きるのが
(実際まわりがどう見るか、ではなく、自分自身がそうだと考えてしまっていまる)
イヤだったわけです。

でもそれは役割というだけ。日直のお当番みたいなもんです。
考えてもやるしかないんだからしかたない。

そう、やるしかないものは誰にもあってやるしかない。
そこを悩んでもしかたないのです。悩んで解決するなら悩んでもいいのですが
悩んでも解決しようがないのです。

そう思うだけで
なんだか私は、ああそうか、とある種
爽快感を伴うような諦めのような感覚になりました。


あやしい話に聞こえますか?

でも、世界は自分が思ったとおりの世界、が全てなんです。
私がそう思ったら、世界はそうなるわけです。

ちなみにこれをスピリチュアル的に解釈して、
夢を強く抱けば
世界は自分の思い通りになる

のように書かれた本がたくさんあります。
それはそういう意味ではないですよ。

自分の世界観が変わるから世界が変わるのです。
自分が見たこの世界しか人間は見ることができないから
世界は思ったとおりの世界になる「しかない」のです。

この「役割」という考え方が万人に合うのかはわかりません。
この世に生まれ、何かを成し人のための生きるのがお役目、と考えるのであれば
あなたの人生はその通りでしょう。

でも、それが信じられないなら「役割」と言う言葉で
もしかしたら何からストン、と落ちるような感覚になるかもしれません。

ちょっと考えてみてください。


著書が書店に並び、朝日新聞に連載を持ち、中学の教科書に採用されるような方が
おっしゃっているので
それを支持する人が少なくない、ということだとも思います。

もしもこの一言が、
あなたの岩のような悩みに、一針分の穴を穿つ事ができれば・・・。


いかがでしたでしょうか。


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