ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「本当の自分」って?

すっかり秋めいてきましたね。
ロゴスの小径へようこそ。

今日はとてもうれしいお知らせが!・・
ランキング登録5日目にして早くも人気ブログランキングセルフコントロールカテゴリで、
第一位をいただきました!!
その上のカテゴリにあたる自己啓発でもなんと8位!!!
本当にうれしい。皆さまのおかげです。ありがとうございます。

もちろん素直に自分がうれしいというのもありますが、
お読みくださる人が多いということは、それだけもしかしたら
誰かの気持ちを軽くするお手伝いができる可能性が高いということなので
本当にうれしいです。
とか書くとキレイゴトの様ですが(^_^;)
でも本当にそう思っているのです。
つまりはこれが私の「思い込み」、ドグマというものになりますが
(ドグマのお話はまたいずれ)

そして
うれしい驚きと同時に
哲学の可能性を更に確信し、身震いする様な気持ちです。

私の人生で、ここまで絶対に間違いないと確信できたものは今までにありませんでした。
真実だからこそ何千年も人類が脈々と考え続けて来たことなのですが。

なんでこれを義務教育で教えないんだろう…
高校の倫理の授業はあまりにも歴史の勉強に近すぎて退屈でした…私だけかな(^_^;)

さて
今日のロゴスの小径。

「本当の自分」に出会いたくて
自分探しをしていたのに
森で迷子になりましたか?

かつて私がそうだったように。

ところで
自分を探す前に
そもそも「本当の自分」てなんでしょうね?


例えば私は日本画家をしており、
神社をテーマに描いています。
神社の歴史を遡ることは神の歴史を遡ること。
「本当の日本の神」を知りたくて、歴史を学びに大学に戻ったのです。

歴史。
本当の歴史。

憶測や、こんなことがあったらしいとか言う奇抜な想像はいらない。
発掘したものやゲノム解析、正しい古文書に則り、
誰かの作った嘘はもちろん、
国家の作った嘘さえも排除した事実だけを知りたい。

歴史小説はその事実をベースに楽しめばいい。
国家の嘘は政治だけが利用すればいい。

高校までの歴史の授業のつまらないことと言ったら!
人の名前と年代と国の名前の暗記。
もっと時代小説みたくできないんだろうか。
フランス革命をベルバラで学ぶように(昭和がバレバレ)
大学で最新の見解の歴史を学ぼう。
カタカナの人の名前と年代暗記だけでない本当の歴史を。
それは私が描く神社、神の歴史を辿る旅になるはず。

私の言うこと間違ってます?
そんなこと考えたこと、ありませんか?

さて大学ではじめに受けたのは、史学概論。
つまり歴史とはそもそもなにかの概念を学ぼうと言うものです。

そこで私はあまりの衝撃的事実に目がくらみました。

歴史の事実、と呼べるものなんて
この世には何ひとつない、と言うことを!!!

あるのは、ほんの少しの手がかり「らしき」ものの断片です。
すわなち
何年にどこでなんと言う人が皇帝のときどこの国と戦争が起こった とされる

と言うことくらいなんです。

ええーー??だって、世界には多くの古文書があるのに???

しかしそれは、言われてみればあたりまえですが
一人の人間と言うフィルターを通して書かれたものです。

生まれ・育ち・宗教。一切の先入観なしにものを見ることは人間には不可能です。
だって世界は「自分がみたものが全て」なんですから。

何年に誰が皇帝の時戦争が起こった。

まで、多くの歴史家が同じ見解であれば
「事実」と定めます。

しかしそれがクーデターだったのか、革命だったのかテロだったのか書き加えたとたん
それは誰かの意見になります。
しかもそれは時代、国によって変わることもあります。
これは今、日本でもいろいろ問題になっているのでご理解いただけると思います。
領土の問題、戦争の問題。
その認識は国によってだけではなく人によって、そして見つめる時代によって
変化してしまうものなのです。

だからなんです。

だから義務教育では、年代・国・人名がメインになるのです。
だってそれだけしか、事実と確定されるものは無いのだから。
子どもたちにはそれだけしか教えられないのです。
それ以外のことは全てフィクションと言えるわけですから。

これ私はかなりショックだったのですが、
このショックさ、伝わりますでしょうか・・・

大学で史学もしくは哲学を学ばれた方はご存知だったかもしれませんが。


私が求めているのは「真実」です。
歴史から抽出することは非常に難しいと知りました。
それで、哲学を学ぶことに変化していくのですがそれはさておき

「本当の歴史」が実は無かったのと全く同じ経緯で
「本当の自分」なんて、無いも同然というのがわかりますでしょうか。

生まれたままの赤ん坊であればあるいは「本当の自分」かもしれません。

でも生まれた瞬間から私たちは
親の影響を受け
環境の影響を受け育つのです。

貧富の差、教育の差。

そして自分の好みだと思い込んでいたものは
友だちやテレビや本。いろんな情報からの影響。
それを常に受けているのです。よくも悪くも。

無人島に育った人間がいったい
宝石を価値ある物とするでしょうか?

「本当の自分」なんて
だから実は幻想です。だから探しても探しても無いんです。
無いものを探すから見つからないんです。

さて、ここで
これに少しでもひかれるものがあり
よくわからないけど、でも「本当の自分」なんて
もしかしたら無いかもしれない、とふと考えてみた方。


それ!!
その、無いかもしれない、と疑ったあなた!!

それが世界でたった一つの「真実」なんです。
その「疑っているあなた」こそが、です!
以前もお話しました、デカルトの「コギト」というものに当たるのですが

これはすごいことなんですよ!!
ほとんどの人が、自分は自分で本当の自分はこれなんだ、と思いつつ
疑いもせず生きているのですから。
(私もそうでしたが・・・(^_^;) )

これが理解できる人が私の言う「哲学体質」の方だと考えています。

誰でも理解できる、と思いますよね?理解できた方には。
中学生でも理解できるので難しいことではないんです。
でも・・・マエノリティーです(笑)

本当の自分が無いかもしれない、なんて虚しいですか?
そんなの認めずに、この自分が本当の自分なんだ、と思って生きていくのも
もちろんアリです。
もしくは、この自分は本当の自分じゃない、本当の自分を探そう、と
旅に出るのもアリです。


しかし
これを理解できるということは、
真実を持っているということ。

ほとんどの人が気付けない、持っていない「真実」。
それは「本当の自分」だと「思い込んでいるもの」を抱えて生きるより
ずっとずっとすごいことなんです。

これを持っていると、本当に心が強くなれます。

そしてそこから創りだせるんです!!「自分」を。

これを知ると、
「自分の主張」というものの、なんとあやふやなことか。
たいていはテレビの受け売りで主張しています。

例えば最近
本当の日本語が失われていくのを嘆く風潮にありますが、
「本当の日本語」ってなんでしょうね?

いつまで遡れば「本当の」ですか?

若者の日本語を嘆く世代でも、
その前の世代からすればやはり、嘆かわしい日本語を使っていると思われていたり。

平安時代の書物さえ読むのが困難なのに
例え「本当の」を見つけ出せても、それを日本人が一から全て学ぶ、というのは
ナンセンスですよね。

まあ、そこまではいいのですが、
それを「自分の主張」とした時点で、
どこまで遡ればいい、正確にはこうであるという
論理的な実証が必要です。
それ無しに主張していたとしたら、何かの受け売りとしか思えません。

ちなみに言語学者はそんな無茶な主張はしません。
現代の日本語として文法的な間違いを正そう、などの動きはもちろんあるそうです。
言語は変わるもの。(というか、すべては変わるもの、とも言えますが)
だから辞典にも、新しい言葉が追加されていきますよね。

これは一例で
自分が主張することは、「本当のあなた」が語っている
「本当の主張」ですか?

うーん・・なんだか怪しくなってきた感じがしませんか?

「本当の自分」探しは
趣味程度に留めて(笑)

もっと違うものをこれから一諸に探してみませんか?
真実(ロゴス)という名の
他人の決めた価値ではありえない本物の宝石を。


いかがでしたでしょうか。

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