ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

心の空洞とは。

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こちらをまずご覧いただけると、
このブログの内容が理解しやすいと思います。良かったらご一読くださいませ(^_^)
ロゴスの小径へようこそ
あなたは「哲学体質」?



さて今日は
そもそも『心の空洞』ってなんなのか、を一緒に考えてみませんか。

家族や恋人や友達はいる。
仕事もある、もしくは養ってくれる人がいる。

ヨガに通ったり
友達たちとお茶したり。
スクールに通ってみたり。

楽しいはず。なのに・・・

なぜか心の真ん中にいつも空洞を抱えているような気持ちになってしまう・・・。

仕事にしても習い事にしても恋にしてもなんにしても
やり始めは楽しく
日々が充実して、自分がいろんな意味でスキルアップしたような気持ちになりますよね。

でも、数年たつうちにその気持ちは色あせていく・・・

望んでもいないのに生まれて、死ぬまでを
生まれてきた意味も無いということを
(意味はある、ということを宗教が教義として定義するなら問題ありません)
私たちは知っているのです。
いくら表面を取り直して気づかないふりをしても。

それを埋めるために人は大きく分類すると3つの生き方に分かれて
生きているようです。

ひとつめは、宗教。
宗教に帰依し、神を信じることで生きる事に意味を見出す方法です。
これは古代・中世では疑うことなく人間は神を信じて生きていましたので、
現代の宗教の観念とは少し違うかもしれません。
また、近年の宗教の衰退により、(宗教での神の存在の理論は信じている人にしか通用せず、
現代科学では様々な現象も解明出来てしまい、宗教に帰依する人口が減ったそうです)
信者は激減、かわりに
ニューエイジと呼ばれるスピリチュアリズムの人たちが近年登場してきました。

自分の中の高次元の存在、ハイアーセルフとつながり、
自分をより高めていく。また、それに続く人を助けて高みに導くのも一環としているそうです。
地球と繋がることで、自分だけでなく他の生き物にも無償の愛を提供する。
この思想は、エコロジーの思想にもつながっています。

これは衰退している宗教に変わるものとなる可能性もあったのですが、
実は自分の運命を変えたいだけの、本当のスピリチュアルとは何かを知らない人たちの激増で
一過性の流行りになってしまうかもしれない境目にきています。
また、実際に科学では説明できない様な霊的な体験をした人にしか
真の理解はできないという点も、
それ以外の人には、おまじない的な扱いになる一因となっています。

そして今人数が増えているのが
宗教は信じない、しかし神様の存在は信じる believing in god without religion
という人々だそうで、
私もつい最近までここに属していた様な気がします。


2つ目は、
ほとんどの人がこうして生きています。
つまり日々快楽を求めて生きる方法。
今さえ楽しければそれでいい。

どうせ生きて死ぬだけなのだから、
先のことを考えても仕方ない。
今したいこと、今楽しいことをして生きていく。

・・マトリックスの映画で、夢を見させられている人間たちがここに当たります。

日々楽しければそれでいい、と心の底から思えていれば
本当はそれでいいのかもしれません。
しかし
本当は気付いているのです。

いくら日々を楽しく過ごしていると思い込んでも

毎日遊び歩く日々にも必ず虚しくなる日は来て
恋は飽きるし
友だちも変わっていく。
楽しいと思っていた仕事も、もっといい仕事があるんじゃないかと思いつつ
しかし何もせずに日々を過ごす。

何かのスクールに通っても
それが生きる意味になるほどになる人はわずか。

次々とスクールを転々とすれば
そのたびに新しい刺激に楽しいと思えるかもしれません。
でもそれ、いったいどこまで続ければいいのか・・・。

飲みにいって友達と話すあの楽しさ。
たくさん笑う。話す。

でもふと
自分だけが笑顔を作っている様な気分になる。
もっと他に過ごすべき時間があったのではないか・・・

あるいは
この虚しさを埋めるために恋を重ねる。
芸能人の様に常に新しい恋が見つかるなら
それで一生をごまかして生きていけるかもしれないけれど。

充実しているはずの毎日。
誰にも言わないけれど、自分だけは知っている。

心の中に空洞が
いつもあることを。

この空洞に気づいた人。
自分を騙しきれない人。

3つ目の生き方は
深く哲学を思考し、生きるとは何かを考えていく生き方なのです。

しかしこれらの生き方を学んだ時に私は驚きました。
3つ目の生き方は、これと大差なく、ほんの何十文字がで書かれて終わっていたのです。
他の2つの生き方は、だいぶはしょってご紹介しましたが。

つまり、
それだけ価値があるものであるにも関わらず
難しさからそれを選ぶ人が少ないのだと言うことなのかもしれません。

「神」的な何かに救いを求めて生きていくか
快楽を求めて虚しさを抱えつつ生きていくか
思考して生きていくか。

にも関わらず私たちには
この3つ目の選択は知らされずにいたのだ、と私は思いました。

知っている人だけが知っている宝物。

真に哲学を極めれば、人に語ってもしかたがない、に繋がります。
だから象牙の塔で思考を深めたり。
だから文学や映画にメッセージを込めたり。
・・・気づく人は気付くのでしょうけれど、私は無理でした。
誰かが教えてくれたらよかったのに・・・。

私は哲学に出会うまで
この快楽を追い求める生き方の見本の様な人生を送ってきました(笑)
だからこそ
あの虚しさがなんだったのかを体感でき、
また哲学体質の人であれば誰でも理解し得ることだとも気付き
人に伝えることを始めたわけです。

心の空洞は誰にでも必ずあります。
「神」的なものの存在を心の底から信じられるのではないなら

それを埋めるものはこの世でたったひとつ。

自分 です。

この空洞は自分で埋めるしかないんです。
幸せも夢もスキルアップもなにもかも
自分の思い込んだ世界の出来事。
それらで埋めてもそれはしょせん「思いなし」の世界の偽物たちです。
増して他人で埋めても埋まるはずがありません。

自分の空洞は、
自分自身で埋める。

これを求めてずいぶんいろいろ回り道をしましたが、
今はすっかり埋まってしまいました。
私ができたので、あなたも大丈夫です。

これからさまざまな哲学の考え方についでも徐々にお話させていただきます。
自分の中にすとん、と落ちる様な思考とあなたを
繋げたらうれしい、と考えています。

いかがでしたでしじょうか。


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