ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「自分の意見」に自信を持つには

自分が正しい、と思ったことを
例えば大勢の違った意見の人の中で
あなたは発言できますか?

ロゴスの小径へようこそ
なぜか心に空洞があるような感覚。幸せなはずなのに。
それはなぜでしょうね?一緒に探してみませんか。
ロゴスの小径ではやさしい哲学の考えであなたの世界観を変える可能性をお伝えしています。

初めてお越しくださった方は
こちらをまずご覧いただけると、このブログの内容が理解しやすいと思います。良かったらご一読くださいませ。
ロゴスの小径へようこそ
あなたは「哲学体質」?

今日もお越しくださりありがとうございます。
さて今日は、「自分が正しい」と思ったことを発言できるかどうかについて。

学校なんかでは特に、自分が正しいと思ったことを言えなかった経験はありませんか?
社会に出ても、自分の意見が正しいかどうかに自信がもてなくて
発言できなかったり。公共の場では特に、ですよね。
ブログや友達には発言できても。

これをよくない、とする傾向も強い昨今ですが

「自分の意見」なんてそうそう簡単に言えなくてあたりまえです。

自分の意見、とは自分勝手に考えた
正しいかどうかもわからないような知識。
それを人に話すことができないあなたは
正しさの意味を感覚で知っている人です。
以下にそれを理論的にご説明いたします。


正しいとはなんでしょう?

それは大勢の人がそれを正しいとしていることです。

なぜなら本当に正しいか正しくないかという区別は
非常に難しい問題だからです。

簡単な問題もあります。
信号が赤なら止まることが正しいのは
皆がそれを正しいとしているからです。

難しい問題になると、
死刑など。正しいかどうかは微妙な状態になります。
多くの人が正しくないとすれば正しくないものになりますね。
だから国によって違いますし。

一夫一婦制だってそうです。
日本では重婚は犯罪ですが、そうでない国もあります。
つまり、多くの人が正しいとするものが正しい意見なのです、
という約束で世の中はできているのです。
誰にとっても正しいたった一つの真実、というのはありえないのですから。

哲学ではよく、
大勢の人間の命とひとりの人間の命の重さを比べる例が出てきます。
どちらを選ぶのが正しい、とは言えないですよね。
その人間が、自分の知人かどうかでも大きく変わってきますし。
自分の中の正しい意見はあります。
知らない他人の命か、家族の命かと聞かれたら
答えは明白でしょう。あって当然です。

けれどそれを主張したところで他の大勢の人にも支持されるでしょうか?
他の大勢の人たちにも助けたい家族がいるというのに??

二次災害を防ぐために救助者の探索を止めざるを得ないように
正義は多くの人が正しいとしたものを支持するもの、
それが正しいものです。

ところでこんな命に係わる問題でなくてもそれは同じことです。

多くの人が自分の意見と同じ意見かどうかを知ってはじめて
自信が持てる自分の意見となります。
それまでは自信がなくて当然なんです。

知識が非常に低い場合(子どもなど特に)
自分の正しさを主張しますよね。
余分なドグマ(思い込み)を。
その正しささえ確認もせずに。

でも大人になるとよほどの親友でない限りは誰も反論してくれません。
その事柄について、現在正しいとされている実情を知っている人は実は大勢いますが
それを指摘し解説する時間は彼らにはありません。
苦笑して見過ごされているだけなんです。

先日、「理論なんて必要ない、感性が重要でそれが一番強い」と言われたことがあります。
スピリチュアルについて、の話題だったのですが。

そう思っている人には、それは正しいのだと思います。

現代の日本でスピリチュアルがどういう位置づけでどういう研究がなされているかを
いまは知っている私はそうは思わないのですが、
それを主張することはしませんでした。
その時間と労力が無駄ですし、
これもまた私のドグマだと知っているからです。
やんわりと、でも人に伝えるには理論も必要、とはお話しましたが。

ところがその席に同席されていたスピリチュアルのヒーラーさんが
私とふたりになったときに、
理論(言葉)の必要性を感じている、とおっしゃってくださったのです。
自分では理論で説明できないような感覚の確信はお持ちで
だからこそお仕事として成り立っているわけですが、
やはりそれを説明できた方がいい、と思われているとか。

私かなりうれしくなってしまいました。
理論なんかどうでもいい、感性だけでいい、というような方が
正直多い(まあそれは心理学的には実は問題があるのですけれど)と思っていたのに

その方は、自分のその霊的な感性にむしろ確信があるのだと思います。
だからこそ、理論で説明できると思われているのですから。
感性だけでいい、と言う人の主張の方があやふやだと思いませんか?

セッションではなかったのでほんの少しだけ
スピリチュアルの歴史や現代社会における位置づけを調べることをお勧めしました。

その通りにされるされないは別として、自分なりの言葉(ロゴス)を
探す、とおっしゃっていたその方の瞳に強い光が宿ったのを
また目撃してしまいました!!!なんて美しいんだろう!!(うれしい!)

最近悩まれていたことなので、楽になりました、とおっしゃってくださったのが
とてもうれしかったです。

幸せになりましたー!
いいご縁につながりましたー!

ではなく
しっくりと自分の中に落とし込んだものは
楽になる
という表現になるような気がします。
なぜかお話させていただいた方は、「楽になった」とおっしゃってくださいます。
それがとてもうれしい!
それに、そこを掴んだ彼女の霊的な能力はさらにパワーアップすると確信します。

自分の意見に自信が持てない方は、
以上のような理論を知らなくても、正しさとは何かを感覚で知っている人。
だから、発言には、他者の意見を知ればいいのです。
そこで確信を持てばいいだけの話です。
そしてそれもまた自分の意見です。オリジナルで誰とも違うものだけが
自分の意見ではありません。

こんなふうに言葉で理解すると、
ああそうか!
なんだ、悩むことなかったんだ!
と思ったりしませんか?

だからこそ、言葉(ロゴス)は必要だと私は思って今ます。

いかがでしたでしょうか。

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