ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「神様」ってほんとにいるの?

「自分の中に神がいる」とか言うと怪しげ(笑)でもこれは心理学的にも宗教学的にも理論があります。
その理論を知らずに「宇宙人とつながった」的なスピ系の方も
いらっしゃるので怪しくなっています(笑)

まあ、本当にそうなのかもしれません。
でも、現代は脳神経科学や心理学で
本当は誰と繋がっているのかは
解明できるといいます。

解明できる、というのは
「誰とつながっているのかわからない」という
ケースも含めて、なので、
実際調べれば「中の人」が自分自身なのか
違う何かなのかがわかるそうです。

で。もちろん
ほとんどの人は
「自分自身に」繋がっているそうです。

高次の自分とかいうと難しいですが、
私たちは知っています。

何をするのが正しいことなのかを。
するかどうかは別として。

その「知っている」という観念こそが
「神」なわけです。

だから自分自身の中の神に誓うのです。
「これができるようになりますように」と。
それが神社のご神体、鏡ですね。

自分自身なわけです。

なんだ、そのことだったの?

そうそう、自分の中のにこちゃん(昭和!)
こそが
自分の中の神、高次の自分です。

思い込み、ドグマにまみれた自分を
ちょっと待てよ?と
眺める自分もそれです。

ではどうしたら高次の自分と
繋がれるか?

それは表層意識を消して
深層心理に触れる、
つまりそれが禅などの瞑想。

でも、禅を組まなくても
私たちは自分の中のそれを他人に見ることが
できるんですって。

例えば
がんばっている友人を見たときに
自分もがんばろう、と思えたり

それは他人を自分の鏡として
高次の自分に触れた、ということなんだそうです。

つまりコミュニケーションの中にも
高次の自分に触れる機会があるわけです。

で、ご縁ってステキ、と
なるわけですが

「お互いが学べる関係」とか
よく聴きますが、
これのことだったんですね。

知識や経験を教えあえる相手、という
意味に感じますが
それだけではなく

しかも相手の生き方を
素晴らしい、学べた!で終わると
ダメなわけですね。

相手を鏡にして自分を映してはじめて
学び
となるわけです。


相手の辛さをみて
かわいそう、
私も失恋したときはこんな経験するんだ、
学んでおこう、

ではダメで

その人によりそい
同じ感覚になることで
自分も同じ感情を味わえるわけです、というのは
机上の論理ではなく
先日も書きました、脳神経科学で立証済み。

最近凹んでいた友人が
「友だちをみて、がんばろうと思った」
と言っているのをみて
更に私も心からそう思えました。

この感じかもしれません。

愛犬(おかげさまで峠は乗り越えました。
まだ緊張状態ですが・・・)も不安定な状態で
大学も続けられるか微妙な状態なのですが

友人の言葉で
やろう、と思えた。

それは友人をすごい!とだけ位置するのでなく
自分に見立てて
心が(脳も)同化した結果なわけです。

つまり、
自分の中に神だか高次な自分だかがいるなら
他人の中にもひとりずつ高次のそれが
存在するわけです。

繋がるのは、そこと、です。

高次のお互いとつながり合えれば
学びあえる関係
となるわけです。


ちなみに
高次の自分とは何か、は

それこそが神だと言うのなら
神、わかるわかる!って感じですよね(笑)

人間の形をしたアレが神なわけないですよ。

キリスト教だって、イエスは人間。
神は神、聖なる父です。
仏像だって神じゃないですよ。

それは紀元前から批判されています。
じゃあ馬が話せたら、馬の神は馬の形だというのか?と(笑)

もしくは倫理感とも言われていますが。
どうなんでしょうね。
それを知りたくて大学に戻ったのですが
答えはまだ探し中です。

でも、なにか自分が高次の、
ハイヤーパワーと繋がる感覚って
誰にでもあるんじゃないでしょうか。

成功哲学の本なんかは、
このあたりを言い方を変えて
うまく利用してやる気を出させる原理に
なっているのですが。


いかがでしたでしょうか。
やや難しい話でしたが
難しく捉えず、言葉のまま
簡単に読んでみてください。

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