ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

魂が癒される瞬間

傷ついた心が一瞬で昇華されるような瞬間を見ました。シェアさせていただくことで、この感覚、ぜひご自身でも体感されてみてください。

ここのところ、神社にいけなかったことで
心が傷ついていました。

いえ正確には
心ではわかっていたのです。
理由もわかる、どうすべきかもわかる。
わかっていつつも癒しきれない。これは
魂の痛みだからです。

わかっていつつも答えがない。
生まれてきた意味のように
悩んでも答えは無いような苦しみ。

これは深い哲学的思想の上で、
瞑想などで
高次元の自分に触れるような体験で
乗り越えるしかない・・・けれど、
その代わりに、
コミュニケーションでも癒される可能性が
あるそうです。

これがスピリチュアルケアと言われる
終末医療の現場などで最近行われるようになった
魂のケア。

例えば
同じ犯罪の被害者が
癒せない魂をお互い体験をわかちあうことで
少しずつ癒されていったり

子育て中のおかあさんたちが
集まって話すことで
魂を癒したり。
子どもが悪いわけではない、
自分も悪くない、
産んだことを後悔しているわけではない、
でも戻せるわけでもない、
人には幸せねとしか言われない
そんな悩みは

自分でも答えがないとわかっているし
肉親が心を癒してくれたりもする

それでも癒しきれない
魂の痛み。

他者の苦しみに触れることで
その人の魂を癒し
そしてそのことで更に
自分もまた癒されるという状況です。

私はこのところ、
ずっと書いているように
神社に行けなかったことを
悲しんでいました。

行けないのはしかたない、それだけなのに
そこに余計な意味をつけます。

神様に呼ばれなかったんだ

しかしその神様というのを信じているかというと
実は少し違ったりするくせに。

とわかっていても
どうしようもない。

行けなかったことでさらに
行きたくなるような心境は
よくあることで。

唯一の救いは
私の代わりのように現地へ行ってくれた友人です。
いろいろ話を聞けますから。

その友人が今日
私に会いに来てくれました。

いろいろ話を聞かせてくれて
なんだかむしろ悲しい気持ちになってしまった私。

でも、昨日考えた
プランAとB つまり
行けなかった代わりに、きっと他のいいことがあると思い込む プランA
自分で、行けなかったからこそできた、という何かしらの既成事実を作ってしまう プランB
の話で乗り越える!と話すと

プランCをくれたのです。

それは
「行けなかったことで、もしかしたらもうなにか受け取っているのかも」

ということでした。
例えば 友人は無事に戻りましたが
私がいったら、何か良くないことがあったのかもしれない。
今は行かない方がよかったのかもしれない

なるほどーーー!
考えてもいませんでした。

なにかプラスのことばかりを考えて、
マイナスがなくなった、ということに
気付きもしなかったのです!!

しかもこれ、いいですよ!だって

神を信じるなら
呼ばれなかったのではなく、
むしろ助けられた
ということになりますし

神を信じないなら
まあ神はいないから
行かなくてもよかったじゃん、となります(笑)

どちらにも取れるこの論理!
好きです(笑)

更に友人は
お金では買えない
とてもとても大切なものを
お土産にくれたのです。
想像もしていなかったので本当にうれしかった。

それだけ私の心がどんなに寂しかったのかを
汲み取ってくれたんだと思います。

その瞬間、心が一気にすーっと昇華するように
なったのです。

これ、哲学的思考で
もう一人の自分が自分を観察するようにしていないと
わからなかったと思います。

憑き物がはがれるように

ああそうだ

セッションをさせていただいているときに
お話した相手が、花が開くように
ぱっと変わる瞬間

きっとアレです。
アレを私は体験したんだと思います。

これは理論がどう、とか
心理学的にどう、とか言っても
絶対に癒せない領域。

どうしようもない魂の痛みに
寄り添ってくれる。その感覚。

しかも今、犬ではありますが
大切な愛犬の介護中。
その介護の大変さも友人は体験しているので
理解してくれるのです。

理解してくれる相手とは、
なんというか
暗くならないんですね。

大変だよね、腰にくるし
もうありえないー!
忙しいのになぜか掃除したりしちゃうよね、

などと笑えてしまう感じ。

今こうしてこれを書きつつ
自分を観察すると

やはりその光景を実際にみて
描けないという残念さは
どうしようもありません。

でも今朝までの自分とは全く違う感覚で
それを感じることができています。

うーん。
人間、おもしろい。

マンウォッチングは自分でするといいです、と
前にも書きましたが
本当におもしろい。

人とのコミュニケーションの中に
深く瞑想した果てに得られるような
(しかし、悟り、とはもっと先にあるものです)
効果と同じものが得られると
大学で習ってはいましたが

いまはわかります。

辛いときこそ、
ぜひ自分を観察してみてください。

私は以前ならこれでかなり
落ち込んだりしたと思うのです。
実際には愛犬介護の不安や身体的疲れなども
影響しているので、さらに動揺は大きいはずです。

にも関わらず
本当に動揺が少なく済んでいます。

そしてプランCの考え方。
プラスが無い、というだけでなく
マイナスが無かったんだ、と思うこと。
そういう考えも今後は活かしていけるな、と思ったりしました。

ところで
神社に行けなかった代わりにみつけた
接骨院に、ほぼ毎日通い
お店の方とすっかり仲良くなってしまいました。
自分の場所というか
コミュニティのようなところが
またひとつ増えた感じです。
これも持病を抱える自分にはかなり大きな
プラスポイントです(^_^)

いかがでしたでしょうか。
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