ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

好きに、生きる。

「好きに生きる」。難しいですよね。それを阻止するのはいつも自分なので。
簡単でないことは、心の底では誰もがわかっていると思います。

成功に向かう勤勉と努力。模範。
石板を背負う駱駝が砂漠を行くように私たちは生きています。
自分の「目標」に向かって。

しかし実はその向こうには、獅子のように
「思うままに生きる」が必要だそうです。

ここまで聞けばかっこいいですが(笑)
自分一人の思うままに生きることができるのは
幼児だけ。

読みかけのニーチェではまだここまでですが

それでも私には何か新鮮に空気が自分に
吹き込まれたような気がしました。
(学んだらシェアしますね!)

好きに生きることをしてみようと
ちょうど考えていたからです。

好きに生きる、というのは
日々快楽的に生きると言う意味や
仕事をしない、という意味に特化するわけではないです。
将来どういう自分になりたいか、もまた
好きに生きる、に含まれますから。

それに人には、
もちろん他人に言われてそうせざるを得なかったり
仕事をするしかない、
介護をするしかない、
(しかし、これらさえ捨てて好きに生きてもいい、と
言う心理学の説もあります。)
役割は誰にでもあります。

でも、一番自分を引き留めるのは
自分自身です。
先入観や価値観によって。

親が植え付けた先入観かもしれませんが
それはもう時効です。
私たちは大人でそれを乗り越えることができますから。

先入観や価値観は、
自分で気づいた瞬間から
変えることができます。(変えたいならば)

例えば私を縛っていたもの。
それは外に働きに出て仕事をする、ということ。

例え家で仕事をしていても、
外で収入を得ないとなにか
自分が悪いことをしているような
お天道様に申し訳ないような(笑)
気がしてしまうのです。

今、犬の介護で外に働きに出れなくなりました。
自宅での作業にも限界があり、仕事を減らしました。
もちろん収入は減りますが

これ、長年したかった「手放し」の一つです。

今は、愛犬の介護でせざるを得なくなったのが
現実ですが、
でもそこで落ち込んでいてもしかたない。
これを好機と捉えよう。

そう決めたのです。

その時間で制作を開始しました。
思えば新作はこの一年描いていません。
(哲学に夢中で!!)

そしてそこでも
神社にいって取材(画家の取材、とはインタビューのことではありません)する予定だったのが
行けなくなったり・・・

しかたない。ずっと頭から離れない
増上寺のあの絵を描くか。

明後日時間を捻出して、
増上寺に再度取材・・・と思ったら
朝から雷雨だそうで予定変更に。(^_^;)

神仏に嫌われたのは
宗教学を学んでしまったせいか(笑)

しかしそれは
「見て描く」と、そのままの景色を
描きたくなってしまうものなので
今は見ない方がいい。
頭にある、これを描こう、

と言う風に

・・・とか書くと、なんだーそれだけ?ですが(笑)

制作のスタイルを変えるのは
作家にはとても大きな冒険です。

これもまた手放し。

人によって何を手放し
どう生きるのが「好きに生きる」になるのかは
違うと思います。

ちなみにここ
ロゴスの小径もそのうちの一つです。

あのブログランキングというやつ、
あれは週単位の統計でその日の順位が決まるので、
毎日毎日更新しないとどんどんランクが下がるわけです。

毎日アップしなくちゃ!というドグマ!

しかも、私の前後にはその道のプロ、
それで食べている方ばかり(^_^;)

そういう人たちがそこに費やす時間の意味は
これを生活の糧にしていない、
またそれを目指してもいない私には

本当に違います。

しかも、私のランキング目当てに
コメントやリンク希望が入ります・・・
コメントに、自分のサイトのアドレスを入れて、
「もっといい説があります」みたいな・・・

みてみると占いサイトだったりして、
私の記事を読んでの反駁ではなく、
いろんな人に同じコメントを送って
自分のところに引っ張ってこようと
しているんだなあ・・・とか

上位を獲得するために
登録カテゴリを変えてみたり・・・

すごいなあ・・・みなさん、
でも仕事につなげたいなら
そこまでして当たり前なのかも・・・
とも思いますが。

なんだかそういうのに時間を取られるのに
疲れてきたというか、

なんというか、
ものすごいドグマの場所なんだな、とわかって
ドグマ当たりした、というか(笑)

そんなわけで
これからは
アップしたいときにする。
と決めました。
私のドグマに成りきる前に。

これも好きに生きる、のための
手放しの一つ。

けっこう力と愛情込めてましたから。
この小径には(^_^;)

セッションは継続いたしますが、
(お問合せ下さった方・・・
ありがとうございます。申し訳ありません。
お待ちいただいている方には
期間に関わらずアートのプレゼントをさせて
いただいておりますm(__)m)
今は介護中で、私と個展などでの面識のない方は、
お待ちいただいております。

ところで
具体的には書けないのですが、
既にひとつ大きな手放しをしました。
放した瞬間、手に入る、というのは

例えば仕事を辞めたらすぐに
他の仕事が入った、というのとは
少し違います。

状況はまったく同じ、でも
自分の気持ちが違うので
心に余裕ができるのです。

この余裕がとても大事なのは
わかりますよね?

そして大きな気づきもあったのですが
そのあたりはスピリチュアル的なので
別ブログ
願わくば桜の下にて」で徐々にアップしておりますので
遊びに来てやってくださいm(__)m

ちなみにスピリチュアル系、といっても
もちろん不確定なきらきらでいいことばっかりーで
じぶんだいすきー
なアレとは違います。

獅子のように生きるには
まず駱駝のような基盤が必要なので。
でないと
獅子のふり、なだけになりますから。

しかしそれでも人には
霊性スピリチュアリティ。昔は宗教がそれでした。
今は宗教に限界が来ているので、
私たち一人一人がそれぞれなぜか信じてしまう
それぞれの「あれ」のことです)が必要です。

絶対に成功する!と決めた人の
「絶対に」とは
言葉でしかないはず、しかし彼は
絶対に確信しているわけです・・・これが
スピリチュアリティです。
自分の本来の力以上の何かしらの力を
(自分の中に眠っている、でも高次の自分、でも宇宙、でもなんでも)
確信する状態。

人間には、必ず必要なものです。
その力で、
私は新年に(正確にはそれを決めた先日から)
好きに生きる、を始めます。                                         

久しぶりに書いたので長くなってしまいました(^_^;)

いかがでしたでしょうか。

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