ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

失敗の定義

「何もしないよりも、失敗した方がいい」。よく聞く言葉ですし、
これを座右の銘にしている人もいますが、
本当にそうでしょうか?

失敗はしない方がいいのではないでしょうか?
失敗したなら無駄だったのではないでしょうか?
多少の経験は積めますが、それ以上に
心の傷が大きい場合も多々あります。
成功だけの人生の方がいいに決まっていて、
でもそんなのはありえないので
悔し紛れに
「何もしないよりはよかったんだ」と
言うのでしょうか?

私は長年秘かにそう考えていました。

何にでもチャレンジするような人も
まわりにいたりしますが、
そう言う人は失敗なんて、実はしたことが
ないのではないかな、と思っていたりして。

でも今年。
私は自由に生きることを今年の目標にしました。
それは
自分にYESと言うこと。

そしてそれは
失敗を恐れない、つまり
失敗しても自分を許す、ということです。

人は他人の失敗は簡単に許せても
自分の失敗は許せないそうです。
10分の遅刻でさえ
自分を許せず「あのときあの電車に間に合っていれば!」
などと考えてしまうものです。

ところで、失敗ってなんでしょうね?
教訓になれば失敗にならなずに前例になる、
教訓になりようがない失敗は
失敗そのものということになるのでしょうか?

まわりがどう判断しようと、
自分の行動を自分自身が「失敗だった」と
決めるかどうかで決まるのではないでしょうか。

「何もしないよりは失敗した方がいい」
とすぐに行動に移せるような
そんなチャレンジ精神旺盛は人にとっては

多少の失敗も、いえ
まわりからみたらすごい失敗でも、
失敗と認識しないのではないでしょうか。

だからこそ、次もまた飛べる。

300円しか当たらない(!)宝くじなのに
毎回三千円使ってしまう人と
そうでない人の差のように!(笑)

失敗するくらいなら何もしない方がいい

それもまた生き方の一つだと
思います。

何かを得るために、失敗は
必ず通らねばならない道ではありません。
失敗だと自分で思わない人には
一生失敗はないとも言えるくらいですし。

ちなみに私は後者、つまり
300円のために3000円の宝くじは
買わないタイプでした。
その代わりもちろん3億円も当たりませんが(笑)
当たったつもりで夢が見れる、と言いますが
それもむしろ虚しく思えてしまいますし(^_^;)

でも哲学を学んで
当たり前ですが

本当に当たり前ですが

人は

いえ、自分は

死ぬんだと気づきました。

それはイメージの上での
華美なものでも、遠い老後と決まったものでもなく
死はいつも
この瞬間も自分とあるのだと。

だからこそ
「失敗を恐れて何もしない」ことより

死の間際、
やり残したことのリストを走馬灯のように眺め
なぜやらなかったんだろうと
思う方が恐ろしい、と。

と言う私ですが、
周りから見ると十分に
自由に好きに失敗を恐れず
生きているように見えるようなのですが(^_^;)

失敗するかも、と思うようなことには
手を出してこなかったとも言えます。

これは本当に自分自分の問題ですね。

仕事の話だけではないですよ。
なんでも。
自分のやりたいことを。

人を傷つけないなら。
自分の魂をより良いものにすることなら。

人生は一度きり。
死の間際の後悔という失敗だけは
教訓になりえませんから。

いかがでしたでしょうか。
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