ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

快楽で日々を過ごすと?

難しいことは考えず、毎日楽しく過ごして生きて行けばいい。
最近の「うわべのスピリチュアル」には苦痛を避け快楽だけを追い求める
快楽主義に近いものがありますね。

確かに一見、今日を快楽だけを求めて楽しく過ごし
毎日がその繰り返しなら楽しい一生、と言えるように
感じてしまいますが、
それは机上の論理。

アリストテレスの「幸福」の定義によると
(ちなみになぜアリストテレスかというと、
幸福という理論立てしにくい感覚を
初めて言葉で解説を試みた哲学者だからです)
幸福とは「善くあること」や「実現」のことであり、
楽しい、嬉しい、というような
その場限りの感情の事ではないとしています。

なぜこうも人は幸せになれないのか。

それは、新しいおもちゃを子供が次々欲しがり、
買ったおもちゃにはすぐに飽きて行くように

私たちも次々と子供のように
一時の快楽を追い求めているからだそうです。

嬉しい、楽しい。
幸せ!と思い
掴んだと思った幸福はしかし

快楽が去った後は倦怠があり、虚しさが襲います。

そこで更なる違う快楽が必要なのだと思い込み
また「幸福に似たなにか」を
追うことになります。

大金持ちの人が靴を何千足も
手に入れても
まだまだ満ち足りないように。

もっともっとお金があれば
もっともっと買えば
もっともっと新しい場所に旅行にいけば
もっともっと新しい体験をすれば

幸福を得られると思い込んでいるそうです。
まさに現代人ですよね・・・。

ショーペンハウアーは言います。

長い間幸福を手に握りしめることが
できている人はそう多くないと。

人びとは倦怠と悲惨のあいだを
振り子のように揺れるみじめな人生を
送っているそうです。
振り子の揺れている間の一瞬を
幸福と思い込み生きている。
身もふたもないですね(^_^;)

しかし実際に幸福を手にしている人もいるわけです。
それは「幸福」の正体を知っている人
ということになりますが

ちなみに先述の
「善くある」とは倫理的な意味を含みます。
しかし倫理の定義もまた難しいので
これから学びます。

「実現」とはつまり
今はやりの言葉で言えば
自己実現、ということでしょうか。

少なくても日々快楽を追い求めるだけでは
上記のようになることは
古代から何千年もの間で
確認されていることのようです。

もちろんそれでも
日々快楽だけで
楽しく生きて幸せ!
未来の不安も全くない!と
一生思えるのであればそれでいいのでしょうけれど。

これから幸福について
いろいろ学んでみたいと思います。
まずはなにごとも
定義を知ることから、
思考は始まります。

いかがでしたでしょうか。
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