ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

愛する「片割れ」はどこに?

この世のどこかに存在する、自分の片割れ。
かつて人間は背中合わせにつながった
二つの肉体からできており
私たちはその片割れを見つけ出し
本来の姿に戻り、完全な姿になったときに
幸福を得られる

というような話がお好きな方は
アリストパネスをどうぞ(笑)

しかし実際は
エロスであるところの愛(恋愛)は
必ず小さな死を迎えます。

長年の既婚の方にはおわかりのように(笑)
(同じ愛でも友愛、とか博愛、の観念はまた別です)
それは必ず誰にでも訪れます。

もし愛が永遠であるならば
全ての人が初恋の人と結ばれ
ずっとラブラブなはずですが
あるいはそういう人もいるかもしれません。
あなたはどうですか?

とはいえ人が愛を渇望するのは確かです。
脳科学的には種の保存のため
哲学的には自分の欠乏した「何か」を
埋めるため。

人は
愛や
富や名誉、健康、快楽を追い求めます。

しかし追っても追っても埋まりません。
なぜなら人間が本当に欲しい
たったひとつのものは
「不死」だからです。

後世に名を残したいと思うのも
子孫を残したいと思うのも
作品を残したいと思うのも
業績を残したいと思うのも

皆、自分が不死になりえないことへの
代償だそうです。

生きているのが辛く、
死んでしまいたくなるのでさえ
死への恐怖が根源です。

愛(エロス、つまり恋愛の愛)は
至高の美しい、善いもの、と
言う人も多いですが
愛ゆえに人は犯罪を犯したり
人を殺したりもします。
これは必ず善であるもの、とは言えません。

この世のどこかにいる
自分の片割れは
自分の中に見つけるしかありません。

他人で自分を埋めることなど
絶対にできないのです。

自分が誰かのピースで埋めないと
埋まらなかったり
自分が誰かのピースだなんて
むしろ悲しいですよね。
私はそう思います。

でもそれは逆に
人は一人で立てると言うこと。
だからこそまた、他人を愛することも
できるのではないでしょうか。

渇望するように求める欠落を埋める答えは
自分の中にあります。
それを神とする人もいます。

科学が不死を乗り越える日まで。

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