ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

何が欲望を抑えるのか

あなたは自分の欲望に勝てますか?もしくは日々の欲望を埋めて快楽的に生きることをヨシとしていますか?

いま、ここ

という言葉の深い意味を理解しないと、
今さえよければいい、という快楽主義に陥ります。
いや、快楽主義的に生きると腹をくくれば
それもまた一生、と私は思っています。

では欲望を満たすのを優先する、とは
どういうことでしょう?
そして、欲望を抑えたい、と思う場合は
どうしたらいいのでしょう?

お腹が空けば何かを食べたいと言う欲望が
沸きます。
それを満たすのは欲望を満たす、ということです。

これを抑えるのが理性です。
ダイエット中だから食べるのをやめよう、と
言うのが理性です。
長期的に考えて、自分に「善い」ことを
チョイスできるのが理性です。

食べないのが無理でも
カロリーを控えよう、とか
今日はちょっと醤油は少なくするか、とか
バターはやめよう、とか。

これが働かない場合は
欲望だけで生きているということに
なりますね。

もちろん食べ物だけでなく
自分の人生すべてにおいて、です。
毎晩快楽を求めて飲み歩く。
それで満たされているならいいのですが
どこか空虚を感じるなら
それは理性が働いているのです。

人間は過去と未来という
一瞬一瞬の連続に生きていると知り
今この時だけの快楽では
幸せになれないと思う時
理性が働いているのです。

理性が働く人は快楽主義では幸せになれません。

虚しさと隣り合わせの
日々の欲望を満たす人生は
年をおうごとに虚無感を増します。

何かを成す人と
成さない人の差は
年と共に開いていくからです。

もちろん人と比べる必要はなく、
それをせずに日々幸せな人はそれでいいのですが。

生きる意味とは
より善く生きる
ということ。

その定義は難しいです。
富や名誉や健康は
幸福になるための手段でしかなく、
それらをどう使うかで幸せになれるか、
つまり「徳」こそが
人を幸せにするという説

徳さえあれば、
富や名誉や健康は不要だとする説。

確かに健康であればそれだけで幸せです・・・がしかし
そうとも言い切れませんよね。
そして病人は全員不幸なのでしょうか?
それは、本人にしか知り得ませんよね。

しかしどちらの説にも
必ず共通しているのが
「徳」が重要であるということ。

徳、というと儒教の影響なんかで
堅苦しく、無理無理!!と感じますが、
より善く生きる努力をしているかどうか、
ということです。

つまり
自分にとっての最善を理性は知っているので
それに向かっているか
自分に嘘はつかずに
自分の真実に向かえているか、

ということのようです。

(理性は最善を、経験でしか学べない
という説もあります)

つまり、本当は食べない方がいい
本当は勉強した方がいい
本当は●●した方がいい

それが自分の最善である、
と知っているのにもかかわらず
欲望に負けて理性をないがしろにすると
徳は得られず幸福にもなれない、
ということになりますね。

おもしろい例があります。
泥棒は、そのことを正しくない行いだと
知っているのでしょうか?

答えはイエスです。
泥棒であっても、自分の家に泥棒が入ると
それは不当なものであるとして
怒るからだそうです。
つまり人間は、より善いものが何かを知っている、
知りつつ欲望に負けている、ということになります。

欲望に勝ったときは実際、
清々しく感じますよね。

2月3日は旧暦のお正月。
1月1日に、生活のより善い改善をはかれなかった方は
ぜひ2月3日に再チャレンジしてみてください。

私も2月3日までに自分に課題を課しています。
清々しい一年を送るきっかけはまだ残っていますよ!

いかがでしたでしょうか。
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