ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

ドラマを観る危険性って?

ドラマに没頭する危険性とは、ただ時間の無駄になるというだけでは無いそうです。

時間の無駄といえばドラマだけではなく映画や漫画、本であってもあり得ますが。

それは単におもしろくないから
時間の無駄になるというだけではなく

一見おもしろく感じても、
よくよく考えると時間の無駄になっている、
というものも含みます。

ところで時間の無駄にならない
質の良い映画や本とはどういうものでしょうか?
もちろん質の良いドラマや漫画も存在します。

それは考えさせられる作品です。

うーん、そういえば
若い頃は、終わりがはっきりしない映画なんかがキライでした。
フランスの映画なんか特に。

だって解答がないんですもん。
あとはお好きに考えてください、
というような。
スッキリしない。
なんのために観たんだ??
というような。

それでいて賞を取っていたり、
絶賛されていたり。
不思議で仕方なかったのは
自分が無知だからでした。

それはむしろ、
だからこそ哲学を内包している証。

つまり
人間の幸福も不幸も人生観も
人生も死もなにもかも
これだという答えは無いわけです。

だから見た人、読んだ人が
答えを出すしか無い。

優れた作品は
そう作られています
いえ
そう作らざるを得ません。

監督や作家が
自分の先入観に囚われたドグマを
押し付けるレベルでない限り。

しかし見る側がそれを求めている場合は
あるいはそれに併せたものが
制作されているかもしれませんが。
芸術というだけではなく、
仕事とすれば、利益が必至ですから。

文学作品でも、教科書に載る様な作品は
無知なまま読むとなんとも終わりがスッキリしない
善悪のはっきりしない感じ…
子供時代読んだ文学作品てそうじゃなかったですか?

大人になって読み返すと
世の中は漫画のヒーローもののように
作られていないことを知り
文学の深みが
答えのないことこそ
自分を思考へと導くということが
わかったりします。

さて本題に戻り
ドラマの弊害。
それは、

自分の正しい感情を持てなくなることだそうです。
つまり
数人の男女が登場し
こういう場合はこういう感情、
というように
単純明快にできてしまっているからだそうです。

それはチェーホフの『かもめ』あたりを読んだ時の
答えのなさ
不条理さ
思考へと誘うような
人生は悲劇か喜劇かも実はわからないというような
しかしそれこそが真実であるのに対し

主人公が結果いつも幸せになり
またそれを取り巻く人々の感情の
単純明快さ。

しかし実世界では
そう一辺倒には行きません。
人の感情は様々です。
同じ事柄に同じ感情を抱く保証はありません。

ドラマに侵された感情は、
「この場合はこういう感情」というように
インプットされ、
実生活に反映されてしまうそうです。

本当に悲しい?
本当に可笑しい?
本当に怒っている??

それは操作された感情ではないですか??

そして更に
本当はとても恐ろしい出来事であるにも関わらず、
「たいしたことは無い」
というような感情を抱かせるそうです。
実際経験し、考えたわけでもないのに
ドラマの主人公と同じく体験し、感情をもった、
と思い込んでしまうからだそうです。

怖いですね・・・

これは現代の心理学でも研究されていますが、
なんとこのお話、
紀元前にプラトンが提示していたものです。
もちろん当時はテレビはないので、
劇場、などに置き換わってはいましたが。

もちろん、逆に考えさせられたり、
いい刺激を自分に与えるドラマもあるかもしれませんが、
それは自分がどこまで表面上のストーリーだけでなく
深く読み取れるか、にも関わってきますね。

そういえば朝の連続某ドラマですが、
現実を全てドラマに置き換えて見てしまう、という
人物が登場しました。
これまた哲学的です。

人生はドラマと大差ないのか。
ドラマを観て感情を操作されていても
自分がそれと気づかず過ごす一生であれば
またそれも人生である、ということとも言えますね。

いかがでしたでしょうか。
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