ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人生を決めるものとは

人生の意味を追求していくと、結局神の存在に突き当たります。
宗教であれ「スピリチュアル」であれ、どんな神様であれ。
しかし神の存在は否定されてます。「神は死んだ」のです。

神が存在するのであれば
なぜ人間をこんなにも悲惨な目にあわせるのか?

いったい誰がどんな権利で、
悲惨な目に合う人に向かってそれはカルマだとか
神の試練だとか言えるのでしょうか?
被災した人にそれを言えますか?
言わないまでもそう思っているなんて本当に怖い。
やはり神は死んだのでしょう。

その上で、しかし信仰を持つ人もいて、
それは人生に意味を与えます。
生きる意味とはむしろ、それしかないと言えます。

宗教を信じない人でも、神様的ななにかを信じている人は
同じです。
神を想定するからこそ人は
死後の世界や罰を恐れ、善い行いをするわけです。
人生の意味は神に近づくことだったりするわけですから。

では信仰を持てない人は。

神はいない。

とすると人生に意味はない。
そうわかっていても人は人生に意味を求めてしまう。

どうしたらいいのでしょう?

ニーチェは言います。
神は死んだ。

であれば私たちは人生の意味を、自分で創ればいいのだと。

ひとつずつ人生の岐路で選択を重ね
自分の人生に意味を持たせる責任は
神にあるのではなく、私たちにあるそうです。

自分の人生に責任を持つとは
そういうことです。
生まれた環境が悪い、親が悪い、運が悪い。
自分ではどうしようもないことに責任を求めるのは
神に責任を押し付けているということになりますね。

最近読んでいる本に、
哲学とジョークは似ているというアメリカ人哲学者の本があるのですが、
そこにこんなような会話が。

「森羅万象(生きる上での全てのものや出来事)の意味ってなんだろう」
「森羅万象に意味なんかあるのか?」
「もちろん!もしないなら、人生の意味なんて・・・」
「人生の意味なんて?」
「・・・強い酒が欲しくなった」

(記載は略していますが
プラトンとかものはし、バーに寄り道』より。
哲学の基礎知識のある方にはお勧め本です!
ちなみにこのジョークは形而上学を説明したもの!)

神様を信じて神様に人生をゆだねて生きるか
自分で人生の意味を決めてその責任を負うか。

いかがでしたでしょうか。
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