ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

幸せの要素とは?

自分が幸せになるためには、どんなものが必要なのでしょうか。
富や名誉や健康や権力は
幸せになるためのツールではあっても
幸せそのものではない、ということは、以前お話しました。

現代の日本人はしかし、お金を貯めること自体に
生きがいを感じている人も多いそうで
このデフレに、貯蓄率はどんどんあがっているそうです・・・
だからスパイラルに陥っているわけですが。

とはいえ貯めたお金は老後の蓄え、というのが
ほとんどだそうで
とすると老後をつつがなく暮らすことが
その人の幸せなのでしょうか。

たまに私もつきつめて考えると
そこに行きあたって悲しい気持ちになります。
日々の漠然とした不安は
例えば老後に十分なお金があれば
それでクリアになるような気持になります。
病気になっても死の間際でも
お金があれば問題は最小で済みます。

以前知人の老人に言われたことがあります。
お金は幸せの全てには成り得ない
けれど
お金があれば老後寂しくない
と。

うーん。深い。そして確かに。
例えば
お金ではなく、心を満たすためになにかをするのさえ
お金が必要です。

しかも若い時代にあっても、
老後に十分なお金がないのでは
先行き不安ということになりますから
・・・
とかね。

考えると
老後にお金があれば幸せな人生。
老後の幸せのために生きてるみたい!!

という壁にぶちあたり、なんだか
悲しくなるのです。
そんなことのために生まれて
生きてきたんだっけ???

昨日皆さんに
自分の不要なものをそぎ落として、
残る物を考えてみてください、と言いましたが

私もそうして考えて行ったわけです。

何が自分の幸せに不可欠なのか。
絵もそうだけれど
もっと、それがないと生きる意味がないようなもの。

ソクラテスはそれはよりよい魂のケアであると言い
その方法は知を愛することだと言います。
つまり学ぶこと。哲学を、です。

医師だった祖父は
アリストテレス座右の銘とし
死の前日までドイツ語の勉強をしていたとか。

それは本当に真理であることは
今はよくわかります。

本来何かの目的のために学んではいるのですが
学ぶこと自体が生きることであり、
というか
それ以外に何ができるというのでしょうか。

とはいえ、
学んだだけの一生だった、と終わるのも
一般人の私にはどうもやはり
寂しいような気がするわけです。
それにそんなことを言えるのは学者とか
もっともっともっともっと学んで思慮した
人たちだけです。

常に、幸せになるために
夢を追いかけているような人生だな、と思います。

私はしたいことを片っ端からし
自分のしたいように生きてきました。
飽きたらまた次。
器用貧乏かもしれませんが(笑)
しかしそれも楽しかったのです。

そしてこれからもそうして生きていくのでしょう。
到達しないかもしれない夢を
ずっと追いかけて。

あ、
これでいいかも。

とふと思いました。
夢は実現せず

ホテルで暮らして
家事をいっさいしない暮らしをする夢も

子供時代からの夢、
毎日美容院で頭を洗ってもらって
毎日マッサージしてもらう夢が叶わなくても(笑)

私には常にしてみたいことがあり
到達したと思えたら
また次の夢が生まれてきます。

うん。実現するしないではなく
この過程こそが私の幸せかもしれない。

今は哲学を少しずつ学ぶ自分が
うれしくて楽しくて幸せでしかたないので

そぎ落として残ったのは
夢を追いかけること。
そして、それって私にとっては幸せなことなんです。

夢をかなえるかどうかは
その人の資質や運やいろいろなものに
関係すると思いますが

夢を追いかけるのなら誰にでもできて
しかもそれで幸せになれるとしたら

幸せ、って
本当に簡単に手に入るものなんだ。

ぽかぽかの昼下がり
病み上がりの愛犬と青空の下を散歩しつつ

ああそうだ
自分は今のこんな自分でも
幸せだと思っていいんだ、と気づきました。

わかります?この感じ。

仕事もいまはないので、お金もないし!
愛犬の介護で旅行もいけない。
友だちとのランチ資金もいつまで持つかな、とか(^_^;)
こんな自分を幸せだなんて到底思えない。
早くこの状況を脱しなくては、と
心を痛めていたのですが

明日もお休みだという幸せ。
その間に、新しい夢を追いかけられる幸せ。
長年の首の痛みの治療に
この際毎日通えている幸せ。
犬が元気になった幸せ。

ああ私もしかして
幸せなんじゃないの???

「幸せはすぐそばにある」って
よく聞きますが

身近な人が自分の幸せだった、みたいな
陳腐なオチじゃないですよ。

これです。

幸せだ、と
思ってもいいんだ、という許しです。

しかも、こんな自分が幸せ、と思ってしまったら
これ以上幸せになれない、と思ってしまいがちですが(笑)
違います。

状況が変わってもまたその時幸せ、でいいわけですから。

そんなわけで、
開催したいと思いつつなかなか開催できなかった
哲学カフェと
リクエストを多くいただいている
アートレッスンを開始することに決めました。

決めてみると、会場もメドがついたり
一緒にやってみようという仲間ができたり。

つまり私は
夢を常に追いかけている人生を
幸せだと定義しているようで
自分の大事なものは、夢なようです。
その夢、とは常に変わってしまうのですが
少しがんばらないと手にはいらないもので
そこへがんばっている自分、という状況が
とても愛しいようです。

昨日は実は少し難しいお話をしました。
でもクリックしてくださった方がたくさんいてくださり
うれしくなって今日も少し難しいお話でした。

なので、自分で実践してみたわけです。
だって、人にこうするといいよ、と言ったり
書いたりしながら
自分では実践していないのを見ると
がっかりしたりしませんか?!
人に言うだけなら簡単なんですから。

哲学、って難しい・・・でも、こうして
自分に落とし込んでみると、自分の話なんですから
難しいようで難しくないんです。
そう思いませんか?(^_^)

皆さんもぜひ、考えてみてくださいね。
こんな感じで。
不要なものをそぎ落としたら
何が残るのか。

いかがでしたでしょうか。

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