ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

理想と現実

叶えられない理想は、どうやって向き合えばいいのでしょうか。

ちなみに強く願えば叶うとか
そういう話ではありません。
現実の、つまり哲学の問いです。

人は誰しも理想を追いかけながら、現実に生きています。

理想とは、自分が到達したい希望の場所。
そして現実とは、今自分がいる
抜け出したいと思っている
嫌悪さえしてしまう場所。

大抵の人は、理想の場所にいきたいので
理想の方を選びます。
英語を話せるようになりたいなら
英語を勉強しますよね。
痩せたいならダイエットします。
会社が辛いなら転職します。

そうして、今いる「現実」から
「理想」へと向かうわけです。

人生とは、理想と現実の
二者択一の繰り返しだそうです。

しかし、もっと高い理想の場合はどうでしょう。

高すぎる理想の場合は
現実を捨ててそこに飛び込むには勇気がいります。

生きるのが苦しい人は、
高すぎる理想に、ジャンプしきれず
現実に留まっています。
しかしその現実は、嫌悪さえする
いたくない場所。

進むことも留まることもできずに
もがいている状態だそうです。
これはかなり苦しい。

これ、どうしたらいいのでしょうね・・・。

ところで、理想ってそもそもなんでしょう?

昨日イデアについてのお話をしました。

イデアとは、そのものの本来の姿、
しかしこの世にはない「理想」です。

理想の線、という話があります。

線 とは本来は、何かと何かを区分するような
ものですが、
実際それを書いてみると、わずかでも太さがありますよね。
つまり、面積があるわけで、
正確には選ではなく、長方形のようなものに
なりますよね。

それを、どんなに極限まで細い線をPCで
書いたとしても
やはり太さはあります。

にもかかわらず私たちは、
「線」がなにか、の認識はあります。
実際は太さのある 面積のあるものしか
見ることしかできないにのに、
「本当の線」が何かのかを
私たちは理解できますよね。

この世にはないのに理解できる。
それがイデアです。

では私たちの理想も
この「理想の線、線のイデア」のように
所詮、心の中だけにあって
手に入れることができないものなのでしょうか?

そうではないとするのが
ヘーゲルの説です。

人は理想を求め、そして到達する・・・
例えば
理想の結婚相手など。

しかし理想の結婚相手と結婚したあとは
どうでしょうか?
理想の企業に入社、でもいいですし
天職を手に入れた!でもいいです。

それは、手に入れた瞬間「現実」に
なったわけですよね?

だからこそ人はまた更に
他の理想を求めてしまうわけです。
人は理想を追い求めずにいられない生き物なのです。
もっと上に、もっと上に・・・。

ヘーゲルはだから
理想は現実を含み、現実は理想を含む
と言いました。

そう、
理想は現実を含んでいるのです。

にも関わらず理想が実現しないときは
どうしたらいいのか・・・
それは、現実を受け入れるしかありません。

つまり
歌手になりたい理想をもって
カラオケでバイトをしていたとしたら

カラオケでバイト、という現実を受け入れるしか
ないんです。
つまりその現実を楽しんで生きる、ということです。

けれそ、歌手になりたいという理想を
諦める必要もありません。

でもでも、あきらめなくても
歌手になんかなれない、ですよね・・・
なれないけれど現実を受け止めたくない・・・

これは、社会の問題だそうです。
現実を受け入れつつも
安心して理想を追いかけられるのが
国家の役割と言えるそうで、
日本の国家はその役割を果たしていません。
このあたりは社会学にもかかわる話なので
もう少し勉強したらまたフィードバックします。

理想とは
到底手の届かないもの、ではありません。
なぜなら到達したときにそれは「現実」と
成り得るからです。
その証拠に人は、理想に達したと思ったら
また次の理想を創り上げるからです。

もっと深く知りたい方は
ヘーゲルをぜひ。
立ち読みでもいいのでのぞいてみてください。
私もこれからもっと学びます。

いかがでしたでしょうか。

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