ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

他人の目を気にしますか?

他人のことは気にしない。自分は自分。
他人と競うことはない。

最近、
そんなふうに生きるように
言われることって多くないですか?

本当にその通り。
他人の目をどうしても気にしてしまうのは
自分の欠点でもあり

それが自分が飛べない理由だ、

と思ったりしますか?

私はそうでした。

・・・
哲学を学ぶまでは。

最近電車の中で化粧をしたり
食べ物を食べる人が増えているそうです。

「他人のことは気にしない。自分は自分」
という教育?が行き届いてきた
結果だそうです。

そしてその本当の弊害とは。

この世の中は結局
自分と他人だけで成り立っています。
他人がいなければ、
自分は「自分である」という認識さえ
もてないのです。

赤ん坊が初めて自分は他人とは違う、
自分である、とどうやって認識すると
思いますか?

鏡を見るようになってから、
だそうです。

小さな子供は自分のことを
名前で呼びますよね。
あれも、
「パパ」「ママ」「犬」「机」
というような様々なものと
「太郎」というような自分は
同じだとしか認識できていないからだそうです。

「ぼく・わたし」であるところの、
他の全てのものと違う自分。

それに気づいたとき
他人と自分の境界線ができます。

他人と競うな。
自分は自分。

しかし人は他人と自分との
境界線を必死に描きつつ
生きているのです。
自分と言う存在が
他人やもののような「他の何か」
ではなく、この「自分なんだ」と
主張するために。

それには他人と競うことも
当然含まれます。
他人の目を気にせずに
人は生きていけないのです。

そして、その他人と自分を区別したいと
思う気持ち、
他人と競わずにいられない気持ちこそが
自分を育て
成長させていくのだそうです。

成績に上下をつけなかったり
一緒に手をつないでゴールする運動会

自分は自分、他人は気にしない、という教育が
いまの日本を作っているそうです。

この弊害は社会学で最近指摘されだしましたね。
慌てて横並びにする教育を
考え直しているようですが。

他人の目を気にすることで
自分の成功を妨げているのでは、と
思いつつ
どうしようもなかった皆さん

他人の目を気にし過ぎ、は
もちろんよくないかもしれませんが

他人の目を気にするのは
自分の成長に不可欠だそうです。

他者と自分、とは哲学の
大きなテーマで
これはほんの一部のお話ですが。


自分は自分、と
他人を気にしないことで、
むしろ自分なりに成長している人は
それでもいいのかもしれませんが

自分は自分、と
立ち止まっているだけでは
単なる「今日を楽に過ごしたい」という
目先の快楽だけを追い求める
快楽主義ということになりますね。

いかがでしたでしょうか。

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