ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

幸福論〜不幸をなぜ感じるのか

どんな時に不幸を感じますか?
他人の幸せを見たときではありませんか?

他人が幸せか不幸かは
あなたの幸せと不幸には
全く関係ないはずですよね。
世界の幸福の数が決まっていて
それを奪い合うわけでもないのに。

にもかかわらず
他人の幸福は、羨ましくもあり
しかし自分はそれと比べて
不幸だと思ってしまいませんか?

なので
「他人と比べることは無い」
「あなたはあなた」
とよく言われるわけですが

で、他人と比べるのをすっぱり止められましたか?

人間は、他人と自分をどうしても
比べてしまいます。

比べることで、
自分と他者との境界を作り
アイデンティティも確立しているわけですが

しかし他人と自分を比べて
不幸になっていると
いつまでたっても不幸のままです。

なぜなら
誰と比べても必ず勝っている人、というのは
この世に存在しないからです。

どの国に生まれたか
どんな身分の
どんな家庭に
どんな容姿で生まれるか

人間は平等ではありえません。
幸せを得るチャンスは
当然違います。

口先で平等です、と
言うのは簡単ですけど・・・
違いますよね、実際(笑)

ではどうしたらいいのでしょう。

幸せの基準を相対化するしかないそうです。

これは教育でも行われて
いるそうです。

子供が、
どうしてうちは貧乏なの、と
親に聞いたとしたら親は

でもおまえには優しいパパとママがいて
幸せでしょ

とか答えるそうです。
家の貧富と両親の優しさは
本来違う基準のものですが

すり替えるわけです。基準を。

家庭だけではなく
国家もまたこうして
国民の不満をおさえるわけです。

あの子は美人だけど
心が冷たい

あいつはイケメンだけど
頭が悪い

とかね!

そうやって折り合いをつけている
わけです。

しかしまた幸せとは
本来自分だけの価値観の問題ですから

その相対的な規準、というのは
誰とも比べられないものであれば
幸せを手に入れることが
できる、とも言えますよね。

それを
優しい両親、など
いつかは無くなってしまうものに
設定すると
失ったときに幸せの基準を失います。

なので、常に変わらず存在するもので
かつ、誰にでも享受できるものがいいそうです。

例えば、知識など。

学んでも学んでも
学ぶ材料はなくなりませんし
常に存在しますよね。
それに誰にでも享受できます。

この基準をお金に設定すると
苦しむことが多くなりますよね。
簡単に享受できない上に、
手に入ってもいつかは尽きてしまいます。

にも関わらず
お金を幸せの基準にしてしまうので
人は苦しむそうです。

自分にとっての幸せ
ってなんだかうわべだけの言葉みたい、と
思っていましたが

どうやら幸せは
そうやって設定するしかないようです。

つまり、幸せは
自分で創るもの。

自分は不幸だと
何もせずに
誰かが幸せにしてくれるのを
待っていても幸せにはなれません。

それどころか、それは社会を
不幸にします。

誰かの幸せは嫉妬の対象にもなりますが

しかし誰かの幸せは
自分の勇気でもあり
時には喜びだったりもします。

不幸な人ばかりだったら
社会全体も不幸になってしまいます。

これが有名なアランの「幸福論」の
一部です。

椎名林檎さんの歌にもなっていますよね。
著作権でコピペできませんが・・・
これ、恋の歌と思っていましたが、
「キミ」を自分自身だと置き換えると
ちょっとゾッとするほどスゴイです。

あたしはきみの哲学や言葉を守り通す。
きみが生きているという真実だけで幸せ。

これ、カラオケで歌ったりもしていましたが、
意味がわからずにいました。

でもこれ、きみ=自分ですね!

自分の哲学や言葉(ロゴス)を守り通す。
椎名林檎さんはメロディ、もいれています。
ますますご自分、ですね!)

「真実」と言う言葉の重さを
ロゴスの散歩人の皆さんは
ご存知ですよね?
自分自身しか認識しえないことを。


テレビや映画もですが、
歌も恋の曲にしてあっても
(哲学を知らなくても売れるように、ですね。
映画もアクションや恋愛ものに仕立てて
誰にでも楽しめるようになっていますし。)
実は根底に哲学が流れていたりします。

ブログ書いていてたまたま気づいてしまいました!
ちょっとうれしい(^_^)

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