ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

強く生きるには

生きていれば絶対に苦しいこともあります。
それは避けられません。
自分が強ければ乗り越えられますよね。

大丈夫、
自分には辛いことは起こらない、
いつも幸せ♪

と生きていければいいのですが・・・

お手軽スピリチュアルに頼ると
本当に辛いことが起こったとき
乗り越えるのは大変です。
実際そういう例をいくつも見てきました。
自分も含め・・・
そこで自分を責めますしね。

「手放しができていないからだ」
「自分が悪い」
「●●したからこうなった」

とかね。

世の中は空です。
辛いも悲しいもうれしいも本来ありません。
自分がそう決めているだけです。

とすれば
自分が強ければそれでいいわけです。

自分が強くなるとはどういうことかというと

自分のする、選ぶ
全てのことに責任をもつ、と
いうことです。

ニーチェは言います。
「神は死んだ」と。

宗教では、弱いものは
縋って祈れば救われます。
難しいことは何も考えず、判断せず
選択も教義に従います。

ですので、責任は自分にはありません。
全ては神のおぼしめしです。

うわー。宗教無理!と思ったあなた。

自分では決めない。
神様がいい方向に決めてくれるから。
いいご縁を与えてくれるから。
その時が来たら、神様が
そうなるようにしてくれる。
できないのならそれは、そうしない方がよかった、と
神様が言っているんだ。

どうです?
これ、やっていませんか?

まあ、人を慰めたり励ましたりするときには
便利な言葉ですが
自分自身にこれを使うならそれは宗教のカテゴリです。
(宗教が悪い、と言っているのではありません)

まあ、これも一生です。
神がなんでも決めてくれる
運命は決まっていた、と思うと
乗り越えられることもあるかもしれませんし。

しかしニーチェの言う
強く生きること、とは

自分自身の選択に責任をもつこと。
自分を信じ、自分の意思で選び
例えうまくいかなくても
人のせい(神のせい)にはしない。

その覚悟こそが
人を強くします。

宮本武蔵は言います。
「我事において後悔せず」
強烈な哲学ですね。

いつか天職を神様が与えてくれる〜
ではなく
生死をかけて自己実現をした武蔵。
しかし死んでも後悔はないと言うのです。
それは自分の選んだ道だから。

人は人生になにか意味があると
思いたがります。
しかし、人生に意味なんかありません。
生まれ変わりの説が大好きな人も
たくさんいますがw

生まれかわり、また死に
生まれ変わる 永遠回帰
その未来永劫の繰り返しは
むしろ虚しい。

しかし
神の定めた意味などないからこそ
自分で人生の意味を決められるのです。

親のせい、子供時代のトラウマのせい、
カルマのせい
元カレのせい
友だちのせい

いいえ
成人したならば全て
自分の責任です。

もっと早く知ってたら
もっと日々の選択を慎重にできたのに
いままで流されるように生きてしまいました。

でも哲学をはじめるのに
遅いと言うことはないのです。

強く、生きて行こう。
すべては自分の選択。だからこそ。

いかがでしたでしょうか。

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