ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自由には責任が伴う。

自由に生きたいですか。何にも縛られずに何の制約も受けずに。
自由にはしかし、常に責任が伴います。

例えば法律などなにもなく、
誰もが自由に生きていいとします。
法律どころか、常識・倫理さえ
守らなくていいとしたら?

公共の場でしてはいけないようなことを
自由にする。
それが他人の迷惑になっても関係なく。

お葬式で大笑いする
結婚式で不自然に大泣きする
電車でラーメンを食べる
夜中に好きなだけ大声で騒ぐ

自由でしょ、自分の。

しかしそれが他人の迷惑になるとしたら
それは他者の自由を侵害することになります。

夜は静かに寝たい自由や
お葬式では死者を静かに弔いたい自由。

約束されるのは
中世までの
王様の自由のみが約束されている世界ではなく
現代。
全員の個々の自由です。

つまり自由を得たいなら
規則はなくても、
夜中に騒がない、
お葬式で大笑いしない
などの責任が伴うのです。

この責任が面倒な人は
規律に従うしかありません。

国家が大きくなり
様々な規則ができると

例えば今の日本も

自分一人の意見なんてどうにもならない。
人は生まれ持った資質で
この社会を生きていくしかなく
まるで自由は失われ
規則の中でだけの自由があるだけのように
見えます。

しかし私たちには本来自由があります。
それは
例えば

貧しい家に生まれても
必死に勉強して奨学金をもらい大学にいくような

自己投企

つまり、自分の本来の資質や環境が
自分を支配するのではなく、
自分を未来に投げ入れ投企することで、
自己実現ができるのが人間である

政治家の家に生まれなくても
自力で政治家になれないわけではありません。

私たちは自由に未来を
掴むことができるのです。
私たちは常に自分で未来を
選んでいるのです。

でも自分は何もできない・・・
したくない・・という方。

それもまた何もしないという状況を
自分で自由に選んでいるのです。

勇気が出るような、
厳しいような感じがしますねw

これを実存主義といいます。
心にひっかかった方はサルトルをどうぞ。
私の勉強は近代は特に、本当に浅いですが、
サルトルニーチェあたりは自分がとても
興味がある感じがします。

どんなに厳しくても
思い通りにいかなくても
これは自分が自由に選んだ道で
誰のせいでもない。

そう思って生きたいし、
むしろその方が楽な生き方のような
気がするのです。

今のそのあなたは
過去のあなたが未来に自分を投企して
つくりあげたあなた。

明日のあなたは
今のあなたが未来に自己投企して
つくられるのです。

それが厳しい、つらい人は
自由を手放し、規律の中に生きる方法しかありません。
つまり宗教にすがり
その教義を守りその中で暮らすことで
未来に責任はもたなくて済みます。
「神様のお導き」になるのですから。

自由っていいな、と漠然と思いますが
責任と自由はセットです。

ちょっと強引に
わかりやすく例にすると

自由になりたくて独立してフリーで働くなら
重大な責任が自分にのしかかります。

それが嫌な人は
自由を捨てて、企業の規律のなかで
生きていく、ということになります。

家事から逃れて自由になりたいなら
責任をもって自分を養うよう
仕事をすることになります。

それが嫌な人は
旦那さんの稼ぎで食べていく、ということになります。
自由と引き換えに。

しかし自己投企によって
また新たな道が作れる可能性もありますね。

今日もまた難しいお話でした。
哲学は近世に近づくほど難しいです・・・
社会も複雑化するので当たり前ですが・・・。

でも、何かしら心にひっかかってくれると
うれしいです。

不安定な世の中、しかし
「哲学を知ればもう大丈夫」と本に書いてありました。
私はそれがよくわかります。

どうしたらいいかわからないような
感情に振り回されたとき
理性的に考える自分に戻れるからかもしれません。

いかがでしたでしょうか。

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