ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

二通りの人間の生き方

人の生き方には二通りあるそうです。
一つは「日常に埋もれて『自分』を失い、ただ生きる」
だけというような生き方。
これは、「自分」はどこにでもいる人たちの中の
一人でしかない。
世界の中に埋もれた自分です。

これに対して、もう一つの生き方は
自分の存在の可能性を再認識し
自分自身を了解する、
つまり
他の誰でもない自分自身を真剣に生きる
という生き方です。

近年日本では自殺者が増えているそうですが、
自分の中で希望が実感できなくなると
人は死にたくなってしまうそうです。
わかる気がしますよね。
だからって死ぬ勇気はないですが、
痛かったり苦しかったりしないでいいなら
今死んでもいい、という人が
増えているそうです・・・という私も
少し前まではそういうことを友達と話していましたが。

本来死とは恐ろしいものですよね。
そもそも人間が唯一恐れるものは
死 なのではないでしょうか。

人間関係の悪化は
人は一人では生きていけないので(物理的に)
やはり死を意味するので、
あんなに悩ましいものなんだそうですし。

死後の世界はどういうものなのか
誰にも知り得ないので怖いのがひとつ
そしてその時期がわからないのが恐れにつながります。

つまり明日死ぬかもしれない。
一時間後かもしれない。

一瞬一瞬、実は私たちは
そういう「死」と向き合っています。

これを払拭するにはどうすればいいのでしょう。

ひとつは、死は終わりではなく
死後の世界が絶対にあると思う方法。
ただしこれを完璧に信じるのは
かなり難しいと言われています。
宗教に深く帰依している人でさえ
死ぬのが怖いと思ってしまうのは
完璧に来世を信じ切れていないからですよね。

もう一つの方法が
哲学です。
プラトンは言います。
哲学は死の練習だ、と。

哲学とはどのように生きるかの知恵ですから
死についても内包しています。

死について考えない人生とはつまり
今を生きるだけです。
それは時間が有限であることや
生きる意味を認識することを拒否し
永遠の夏休みに暮らすように
日々の快楽だけを追い求める生き方です。

これは、他人に、世界に埋没した生き方。
通俗的時間を過ごす人生と
ハイデガーは言います。

死について考える人生は
自然と死への心の準備ができていくのもですが、
時間の有限性を知り
人生のかけがえのなさに気づき
積極的に生きることを考えるようになる
根源的時間を過ごす人生を
過ごすことになるそうです。

人は、死を意識して初めて
自分の人生に「時間」的観念が生まれるのです。

もちろん、どちらの生き方をするかは
自分自身で決めればいいことですが。
どうせ生きて死ぬだけなんですから
世界の中の誰でもない一人として
日々ダラダラ暮らすのもまた
その人には幸せなのかもしれません。

今日もまた難しい話を書いてしまいました・・・
クリックたくさんいただけているので
大丈夫・・・と思っておきます(^_^;)

「生きるってすばらしい!
感謝しつつ毎日を大切に
幸せに生きようね!」

みたいなブログが書けなくて
申し訳ないような(^_^;)
言ってることは同じなんですけどね。

ちなみに最近みつけた優しい哲学の本
『哲学の教室』小川仁志
読みやすいです。
哲学カフェも主催されている方です。

私も次の個展、4月に
哲学カフェ、開催します!
皆さんとお会いできたらうれしいのに、と思います。

いかがでしたでしょうか。

ちなみに『ロゴス』の皆さんは
世界に埋もれた誰でもない人、という
生き方はできないタイプの人ですので
そちらの人生を目指すとむしろ苦しくなるので
お気を付け下さい(笑)

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