ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を責めていませんか。

今日もまた自分を責めていませんか?
なんで人は自分を責めてしまうのでしょうね?

失敗した直後というわけでもないのに。
ある日自分の人生が失敗だったような気がしたり

ずっと登ってきたつもりの階段が
だまし絵の階段のように実は一周して
元の所に戻って
高ささえ変わっていた無かったことに気づいて
愕然としたり。

責めても
責めても
戻れない。
やりなおせない。

仕事も
終わってしまった恋も
あの時の選択も。

そして自分を責める・・・
それはたいてい
無知から、なんです。

人生が一直線に進む時間に乗って
徐々に上り坂で進んでいくと言うのも
それができないなら失敗で負け組だと思うのも

皆幻想です。

時間が一直線に進んでいて
いつか最後の審判がきて選ばれしものが
新しい世界にいく、とう終末思想は
キリスト教のもの。

その教義の知識もなく
信者のようにその恩恵の部分も知らずに
時間がまっすぐ成功に向かうものだという
なんの根拠もない事実でもない幻想を
漠然と信じて生きているのです。

だから成功しないと
自分の人生の意味がないように
感じてしまう。
明日の成功を夢見てしまう。
いえ、夢見るのはいいです。
明日の成功だけが幸せだと思い込んで
生きてしまう。

死の間際、
自分が駆け上った階段を
自分の予定(と思い込んでいる)の高さに
登れなかったら
失敗の人生になるのでしょうか?

幸せはそこに至る過程こそが幸福、
だなんて
既に教訓めいて手あかがついている言葉ですが

とにかく世界は
そういう仕組みにはなっていません。
少なくても現時点では
そういう仕組みだと科学的に証明されていません。

責めなくていいんです。
予定通りの自分でなくても。

責めなくていいんです。
神様が自分にだけ微笑んでくれないような
気がしても。

責めなくていいんです。
掴んだと思ったものを
失っても。

そんなふうに
自分を責める原因をつきつめると
自分が知らないうちに先入観に
世の中の「一般常識」と言われるものに
騙されていることに気づきます。

一般常識、とはマスコミにつくられた流行と
大差ありません。

地獄、というと日本人は
同じようなものを想像しますが
あれも史実を遡ると、
近年にできた思想だと解ります。
仏教に地獄なんてそもそもないですよ。

そうやってつきつめていくと
結局
好きに生きればいいんだよ

みたいなところに行きつくのですが。

セッションでお話させていただく
ほとんどの方が
この先入観からのお悩みです。

「無い」ものを「ある」と思い込んで悩む。
もったいないですよね。


いかがでしたでしょうか。

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