ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

感情の奴隷になる、とは

自分の欲しいもの、したいことを
次々と叶えていく。未来も考えずに。
これが快楽主義。

でもなぜいけないのでしょう?
好きなことをして、何がいけないの?
未来のために今を犠牲になんかしたくない。
今自分がやりたいことをして生きていく。
やりたいままに生きていく。
それで日々楽しければ、
一生楽しい、ということになるんじゃないの?

哲学でも宗教(仏教やキリスト教など)でも
過剰な欲望を抑えるようにと
唱えます。
これはなぜなんでしょうね?

古代ギリシアの快楽主義は、
苦しいこと葉しない、
楽しいこと、楽なことだけで
快適に過ごす、と言いつつも

快適、とは美食に溺れることではなく
必要な分を食べるだけ、とします。
つまり満ち足りた生活=快楽と
しているだけです。

快楽に溺れると人はどうなるか。

ひとは、感情の奴隷となります。

食べたいだけ食べる。
標準体重を越えても平気で食べる。
それでも止められない。
これは自分の意思であって自分の意思では
ありませんよね。
本当は食べない方がいいとわかっているのに
我慢できない。感情(欲望)に負け、
その奴隷となって
食べてしまうと言うことです。

本当は明日の仕事のために、
飲みに行かない方がいい。
でももはや感情の奴隷でしかない自分は、
自分のベストな道を選べない。

失恋して思い悩む、も同じです。
未来を考えずにたった今したいこと、
悲しくて家にふさぎ込み
友だちにも会わずに彼の写真ばかり見て過ごす。

感情をコントロールできない。
これが、感情の奴隷となるということです。
あなたの主人はあなたではなく
あなたの感情、になってしまっていると
いうことです。

だからこそ
快楽主義は危険なのです。
同じように毎晩飲み歩いても、
感情に負けた結果ではなく
それがその時のベストで、
未来にとってもベストなチョイスであれば
それでいい、とも言えますね。
例えばそれが人脈つくりに繋がったりもするわけで。

毎日遊んでいるから
勉強しないから
快楽主義、というのとはちょっと違いますね。

自分をコントロールできずに
奴隷となって生きるか
自分をコントロールして生きるのか。

このブログは、
セルフコントロール部門にエントリーしています。

自分で自分の感情をコントロールできれば
辛いことがあっても
何があっても
「大丈夫」だと言えるのではないでしょうか。

いかがでしたでしょうか。

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