ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

他人をみてムカッとしたとき

他人の考え方や行動はおかしい!と思ってイライラむかむかしてしまう。
そういうこと、ありますよね。

しかしたいていそれは、自分の無知からくるもので
本当の「正しさ」は自分の中にはなかったりします。
例えばきちんと調べたら、
その他人の方が正しかったり。
なので自分の意見を振りかざす前に
調べた方がいい、と思うのですが

もちろん以前も書きましたが
自分が不当に扱われたときは声をあげるべき、
です。
黙って呑みこむのが大人、と思っていましたが
(でもできないのですが・・・(^_^;) )

世界は言葉(ロゴス)でできています。
はじめに言葉ありき。
意見しない限り、なにも通じないのです。

意見と、そして行動だそうです。
瀬戸内寂静さんは反核運動のために
ハンストを行われましたよね。
そのときおっしゃっていました。
黙り込んでいてはなにも始まらない。
行動をおこすことこそ重要だと。

これはハイデガーあたりの思想にもあります。
無力な市民が行政に任せるまま
権力にコントロールされるのを防ぐには
声をあげ行動するしかありません。

反核、といいつつ私はそんな行動に加わったことがない・・・
と考えると、国家に、市民として
参加してないんだということが
つくづくわかりました。

先日電車の中で
30過ぎのサラリーマンが
ちょっとぶつかった、とかで大声をあげて
「てめえぶつかってんだよ!ざけんなよ!」
みたいな感じで騒いでいました。

これをツイッターでつぶやくのは簡単です。
安全な場所で。

そのとき隣にいた50すぎくらいのやはりサラリーマン男性が、
「子供じゃないんだから、そういうものの言い方は
やめなさい。ぶつかったのが悪いこととは別だ。
学生ではないんだから。」

と声をかけたのです。
どきどきしました正直(^_^;)

すると30過ぎのサラリーマンは
「はい・・・」

と引き下がりました。

それはもう、なんというか、
50過ぎの方は会社の役員、というような
静かなオーラと話し方で
怒りもせず、単に諭す感じで。

ちょっと感動しました。

もちろん世の中にはそういうことで
殺されてしまう人もいるので
それをお勧めするわけでも、
自分がそれができるわけでもないですが

二つの哲学を学んだ気がします。

一つは
市民として
言葉と行動を発すること。
(自分のできる範囲で)
それができないなら黙り
不当をこうむるしかない。

もう一つは
他人をみてムカッとしたとき
自分の感情まで引きずられて害されて
その人に怒りをぶつける、のは
単に自分のドグマ、自己中心な思い込みでしかないと
いうこと。

ヒュームは言います。
善悪は、その対象(この場合、30と50の男性二人)に
存在するのではなく、
それを評価する私たちの中に存在するものだ、と。

この説が現代では支持されている説だそうです。

他人を見て、
上記の行動なく
ツイートするならそれは

自分のドグマを振りまいているだけ、
つまり自分の本性をさらしているだけ
自己主張しているだけ、ということになります。

そういう目でツイートなんかをみると
その事象そのものより、
発言している人の赤裸々な中身をみてしまうようで
そちらの方がおもしろくもあるのですが。

仕事のかかわりなんかで
ムカッとしたときはどうしようもないことって
あります。
不当であっても我慢するしかない場合も
もちろんあります。
でもそれも結局利益を期待して、なんですけれどね。
たいていは賃金のため、だったり。

でもせめて
生活を脅かすような場面でない場合は
他人の事で自分の感情を害されることがないように
したいものです。

その感情は自分の中にあるものなのですから。
認めたくない気もしますが(^_^;)

いかがでしたでしょうか。

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