ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

私たちが「恐れる」ものは

仕事がうまくいかない。人間関係がうまくいかない。夢が実現しない。
それで苦しむその根源には、結局死を恐れる気持ちがあるからだそうです。

人間関係がうまくいかない=昔であれば死に直結しますもんね。
精神的にも、物理的にも。
子孫も残せなくなります。
そんな人間の自分でも意識していないような根源の恐怖。

宗教学的には、
自分が死ぬのは怖くない、痛いのはイヤだけど
という若者が増えているとか。
私も一票(笑)

とはいえ、人は死んで行く自分自身より
残すものへの未練が怖いとか。
それ、わかりますよね。
幼い子を残して逝く、とか
どんなにどんなにどんなに心残りでしょう・・・

死後の世界ってどんななんでしょうね?
宗教では宗派によっていろいろですが
科学では解明されていません。

哲学の父ソクラテスはどんなふうに
考えていたのでしょう。

死は知り得ない。
人間では知り得ない。
それを知らずに恐れるのは神への冒涜。

知らないものを恐れるのは
愚かなものである


知っている。

これが無知の知、といわれる
(しかし昨今では無知の知、と言う言い方は
ほぼされていません)思想を支える話の一つです。

死後はわからない、とした上で
ソクラテスは言います。

しかし死とは、
まるっきり何もない状態、
無、としかいいようがない状態
極上の睡眠をつなぎあわせたような状態

もしくは
他の世界に魂が移る状態。
先に死んだ偉人たちと哲学論をかわすのが
楽しみだというソクラテス先生w

どちらにしてもそう悪いものでは
ないようですね。

ソクラテス自身も
「どちらにしても儲けもの」
と言っています。

死の瞬間まで、死はわからない。
としたら
そんな風に考えていられたら
余計な悩みが一つ減りますよね。
怯えながら生きても
楽しみに生きても
死は同じように訪れるのですから。

そんな風に私たちは
いろんな「知り得ない」ものに
怯えて暮らしています。

それは知らない、を知っている、と
していることで
愚かなこと。

こんな話が2500年も前から
なされていたんです。まるで
現代の話みたいですよねw

極上の眠りが訪れるまで
今を生きましょう。

余分な恐れを抱えて
もしくは手放して。

人生を生きるには、それしかないのだから。
さあどちらを選びましょうね?


いかがでしたでしょうか。

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