ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

現実は残酷だからこそ。

世界は不平等です。努力に比例した成功は無く、ぶれない自分で明るく生きれば誰もに愛され幸せを呼ぶわけでも、実はない(笑)

その幻想が一生続けばそれが一番の、本当に幸福だと思います。
それが覚めるときが来るとしたら
少しでも早く気づけた方が
痛手は少ないですね。
年齢と共にやり直しが利きにくい今の世の中ですから。

紀元前から人間は
より強いものが多く取り

美しい者が有利であり

これは現実ですよ。
紛れも無く。
これを受け入れて、虚無感に浸るような生き方を
ニヒリズムと呼びます。

これを強く否定する人もまた、
実はそれが真実だと知っている人です。
むしろ強く知っている人なのではないでしょうか。

世の中は、その時代や国の流行り、多数決によって
正義が決まっていますよね。

昔は奴隷制度が当然のようにあったり
一夫一婦制や多妻制など、
どちらが 正義 とは言えず、
その時代や国の多数決で決まっています。

私たちがこうあるべき、と
なぜか知っているようなことも、
実は日本の、この今の時代というフィルターを通した
〜〜すべき
でしかありません。

明るくあるべき、
ポジティブであるべき、
他人のためになにかをするべき、
幸せをシェアするべき、
自分が幸せなら皆が幸せであるべき。

そしてそれらで人は幸せであるべき
という流行りです(笑)

そうあるべきという多数決で決まっているので、
それで幸せになれない人は
マエノリティです。

でも、例えば
一昔前のバブル時代は、
経済の発展こそが幸せ、消費こそが幸せ、
24時間働ける、が正義だったわけですよ。

けれど今では、お金だけが幸せではないという
価値観が流行っていますよね。

当時、多数決によって「正義」であり「幸せ」であるとされたことも
時代と共にそうではなかった、ということに
なるわけです。

もちろん当時の正義を責めるものではありません。
誰もが経験しないとそれが
正しかったのかどうか、理解できないのですから。

つまりは、正しいと思われるようなことは
なにもかもふわふわしたその場の流行りでしかなく、
それが必ずしも幸せを呼ぶわけではない
ということ。

今の流行りも数年後は変わっているでしょう。
やはり経済発展こそ正義、としているのは
今の政党ですね。
それを歓迎している人も多いはずです。

誰だって真の自由を得るより
今日のパンが大事なのですから。

哲学に、スピリチュアル的な
「心が軽くなる言葉」を探すのは間違っています。
答えのない現実を突き付けられるのみなのですから。

虚しいですねー!世の中。
消えたくなります。

でも、それでも
この事実を知った方が「心が軽くなる」人も
確かにいるんです。

人間に都合の良い神はいない。
現実は残酷。

それが現実です。

その絶望に向かってまっすぐ向き合い
生きるのは自由ですが

苦しい!
ものすごく。

この苦しさを味わったこと、ありますか?
深く思想すればこの苦しさを回避できません。

それは、現実に次々起こる辛い出来事以上に
辛いことです。
生きる意味がない、死ぬためだけに生きているという事実。

そこに気づかず絶望もしない人は
やはり幸せです。

気付いた人はそこを直視して哲学しながら生きるか

その中で神を見つけて生きていくしかない。
そうしないと辛くて辛くて生きていけないから。

気づいてしまった人は
必ずニヒリズムを通過します。
あるいは子ども時代から
そういう虚しさを抱えていたはずです。

でも本当は誰もが気付いているはず。
気付かないふりをしているだけで。

世界は平等としながらも
美しい友達と並んで歩けば、
人はどちらを見るのかも

友達と自分の勉強時間に比例しない
学問への理解度の差も

富める家に生まれた子の有利さも

全部自分は気づいていて
気づかないフリをして生きている。

フリをしつつも
自分まで騙せる人と

騙せない人

そこが哲学するかどうかの
分かれ道な気がします。

で、
気づいてしまった人は
ニヒリズムを通過する。

そこに留まる人は哲学者になるか
ソローのように誰もいない森の中でひっそり暮らすか
いっそ何もかも終わりにするか
そうでないと辛すぎて生きていけないから。

しかし通過した人は
見つけるのです。
誰に べき だと言われたわけではない、
生きる意味を。

中島義道さんの本
生きることも死ぬこともイヤな人のための本

久々に絶望に引きずりこまれるような衝撃でした。
けして大げさでも、恐怖をあおる本でもなく
あくまでも現実を、正直に、自分の立場をも加味して語る
読みやすい本です。
しかし、読むと人生が変わるほどの衝撃的な本です。

ちなみに中島先生の嫌いな人は

笑顔の絶えない人
常に感謝の気持ちを忘れない人
みんなの喜ぶ顔が見たい人
いつも前向きに生きている人
(他にも6項目あります)

だそうです。
いま流行ってる、流行ってる!!ww
それが正しい、とされている現代です。

なぜ嫌いかと言うと、勝手にそれで幸せならいいのに、
それを布教しようとするからだそうです。
なぜか布教しようとするかというと、

ネガティブに生きている人が「嫌い」だからです。
だからポジティブであるべきだ、と布教をするんですって。

人のため、ではないですね。
自分の不快を取り除くために布教するわけで、
そこが先生の美学に反するそうです。

うーん。わかってしまう・・・困ったw

これらも
ニヒリズムを経た人が、ある意味悟りのような境地で
そう生きるしかない、と決めたことであれば
それもまた真実になるのだと思いますが。
宗教家はほとんど、それを経ていますから。

多分人生で一番衝撃を受けた本です。

痛烈なニヒリズムかもしれません。
けれど、ちょっと気を抜くと「なんちゃってスピリチュアル」に
落ち込んだりしませんか?
そういうときに、ああ、やっぱり!と思えて救われる本とも言えます。

現実を知ったうえでこそ
神を据えることができる。
現実の理解無しに盲信するなら、それは宗教。
(それが悪いというわけではありません。)

いかがでしたでしょうか。

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なんだかやはり
気の効いた言葉の並ぶキラキラブログになれなくてゴメンなさい(^_^;)
それでも現実とは何かを知ってしまっている皆さんへ・・。