ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

哲学病

誰もが目を逸らす、「死」というテーマ。
例えば人の死に向き合う時に、自分の死を考えるチャンスがありますが
人はお焼香をし喪服に身を包み涙を流すという儀礼
自分にとっての死とはなにかを受け入れずにいる、と
哲学者の中島義道は言います。

どうせいつか人は死ぬ。
それを深く深く考えると
人生はどこまでも虚しい。

今幸せの絶頂で生きている人も
そうでない人も
目標を目指す途中の人も
誰もかれもが結局死ぬ。

その絶対的な虚しさ。

「そんなことを考えても意味がない。」

「死ねない方がむしろ辛い」

「そんな風に考えてしまうような社会が悪い。」

「死ぬからこそ今を精一杯生きる。」

そう言って人は、
死に対する恐怖に蓋をするそうです。

死 とは自分には訪れない、という設定で
人は生きているのです。

でもそれができない人もいます。
それをしようとして生きているのに
なぜか子供の頃から
死んだらどうなるのかとか
どうせ死ぬのに何かをする虚しさとか

考えても仕方ないのに
それを知らない人のほうが
どんなに楽しく幸せそうに生きているのに

それでも考えずにいられない人を
私は池田晶子さんに習って哲学体質、と
読んでいますが

中島義道さんによると
哲学病
だそうです。

過去の哲学者たちもそう言っているように
それをしてしまう人はとても少ない。

全体の0.1%くらい、と中嶋氏の先生(東大の哲学の教授のようです)は
おっしゃっているとか。

そんなに少なかったのか・・・ちょっとショックw

しかも
それはスピリチュアルの人たちが言うような
「選ばれし者」ではありません。
むしろそんなことを考えて生きる気力を失ったり
ニヒリズムに陥ったり
(私はここに陥らないように日々戦っています)

人生の何もかもが虚しく見えてしまう

どうせ人は死ぬのであれば
どうやって生きて行こうが自由であり、
生きている間だけでも、楽しく生きて行けばいいのに

それさえ虚しく感じてしまう。

人に生きる意味がないのだと知っているからには。

そんなこと言ってもしかたない、
楽しく生きようよ

そう言う人は、怖いのだそうです。
私たちから、死についての話を聞くのが。

いえ、私たちも死が怖い。
生きているのがこんなにも虚しいのに
死は怖い。
永遠に、2度と生まれることはないという事実。
やり直しは効かない。
生まれ変わることがあるとしても、そのときはこの私ではない。
いっそ死んでしまいたくなるくらいに、死が怖いわけです。

そんなことばかり考えてしまう哲学病の人は
宗教家か作家か哲学者になるしかない

だそうです。

確かに人生は虚しく意味の無いものです。
だからこそ、それを徹底的に考えるか
宗教(神)を想定して縋って生きるのか
虚構の世界を自分で創り、その中に生きていくのか

それしかないように思います。
というこの感じも、0.1%の人にしか
理解してもらえず、

単にネガティブに感じるのでしょうけれど・・。

でも前向きに、元気に、幸せに、
というオチが作れずにすいませんw
それらはむしろ虚しいのですから。
といって暗く落ち込むのもまた虚しい。
世間虚仮ですw

本を読み進めばなにか光が見えるかもしれません。

今は生きていることも死ぬこともイヤなあなたと
その感覚を共有している人がいる、という
ただそれだけの素晴らしい事実に感謝するのが精一杯です。

いかがでしたでしょうか。
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