ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人間関係で悩んでいますか

人の悩みのほとんどは、人間関係ではないでしょうか。私も人間関係には悩まされる、つまり巻き込まれるタイプでした・・・というか、
そういう人って「巻き込まれている」のではなく
自ら飛び込んで行ってるんですけれどねw

でも哲学を知ってから・・・
ほんとうーーーーーーーーーーーーーに悩まなくなりましたww

だって、どうでもいいんですもん。
そんなことは。
人が生きる意味死ぬ意味、人生の虚しさ、
しかし生きて行かなくてはいけないこと、

とかに比べたら。

池田晶子さんの本を読んでそう書いてあったものの
心から理解できていなかった気がします。

でも今はわかります。
中島義道先生の本を読んで、
ああ、私、これこれこれこれこれだった!!

つまりは

死に至る病 というやつです。

死ぬこともできずに宗教も救いにならない
人生の虚しさ。

それに比べたらその他のことなんか
本当にどうでもいいと言えます。
死にまつわる悩みでない限りは。

哲学を理解する人は全体の1割という感じ、と
思ってきましたが
やはり中島先生の書かれているように
0.1%もしくは0.01%なんでしょう。

それは選ばれし者、ではないですよ。
思えばそう思い込んでいる人もいる感じですが

違います。
絶対に解決しない悩みを抱える苦しさ。
でもしかたなさ。

哲学の言葉を、心理学やスピリチュアルの言葉のように
自分を救うもの、と思っている人も
とても多いです。

違います。
答えは無いので、救いを求めるものではありません。

けれど、哲学病の人はそれ以外に
幸せになる方向に向かう道がない、というのも
確かなのです。

中島先生の本を読んで
ずっと哲学を一緒に語ってきた友人が

「自分はやはり違う」
とメールをくれました。
うすうすそうだなとは思っていましたが。

そういう悩みはもう乗り越えて、
倫理的なものに意義をもっている、というので

それは違う。絶対に違う。

と言いました。
乗り越えられるわけがないのです。
つまり、

彼女には
もともとそういう要素がなかったということです。
そしてそれは本当に幸せなことです。

だって本当はそうしたいんですから。
人生は虚しい、でもそんなことを考えてもしかたない。
だから明るく生きよう、とか
大人になろう、とか
そうしたいんですよね。

でもできないんです・・・
だから病なんですね・・・
もしかしたら能内にそういう症状があるのかもしれません。

でも
少し楽になったこともあります。

それが人間関係。

私は、出たくない結婚式には出ないし
行きたくない個展の案内が何度来ても行きません。
(中島先生の著書に例がありましたが、まったく同じ!)
会社の歓迎会等にもほとんど参加しませんし
クラス会も得るところがない、と思えば
もう行きませんw

酷いですねーー
友だち無くしますねーー!

でも、いいんです。
友だちはまたできますから。
そんなことより、自分の貴重な時間を
おつきあい
に使うのが嫌です。

もちろん参加したくて参加することは多々ありますよ!!
嫌な時はいかない、というだけです。
ただそれだけです。

そして最近お気に入りの
心屋さんのブログ
著書にもありました。

嫌われてもいいじゃないか、と。

〜であるべき、
と決めているのは自分。
そんなルールはどこにもない。

人に迷惑をかけてもいいんだ、と。

人間関係に気を使わなくなったものの
仕事ではやはりまだそういう気を使っていました。
やりたくない、でも受けないと悪いかな・・・
というような。

まさに最近、そういう事態に直面してしまい
どうしても断れなかったことがいくつか・・・

これも、
自分がやりたいものだけやって
あとは断ればよかったんです。
なーーんだ!

そんなわけで今日一つ断りましたW

怖いですよね、断るの

気分を害するかな
申し訳ないな
私を使えない、と思うだろうな
次から仕事しにくくなるな

とか。

でも、いいや。
生活に関わるから断れない、というものでもないものであれば

そう思うと、心がすーっと軽くなったわけです!!!

だってね、
私はもともとそんなヤツですよ。

おつきあいで何かするのは大嫌いなんです。
時間の無駄!!!

でもそのかわり参加することは
好きで参加すること。
おつきあいではないです。
人と会うのもそうだし。

そういえば最近、友人の出版記念パーティー
お声かけいただいたのに
行けなかったのは残念すぎ・・・

まあ、そんな風に
行きたい、とおつきあい、の差は
実は案外はっきりしているものです。

そして、そういう「〜〜すべき」を捨てると
本当の自分に出会えるし、
嫌われる、と心配していたのは
実は自分だけだったりする、と心屋さんは言います。

哲学と、心屋さんの心理学、
情報ソースは別ですが
人間関係のストレスを減らすには

嫌われてもいい!
自分の人生は自分で選ぶ

が基本になるようです。

やはりむずかしい、と思います?

実際、友人は
昔の友人とずっとつきあえないのが寂しい、と
言います。
だからあまり参加したくないクラス会なんかにも
参加しておく、と。

つまらない思いをして
おつきあい
しなくても

また新しい友達ができるのになーと
思ったりしますがw

ところで、哲学脳の人の最高の友人とは、
誘いを断っても気分を害さない、
その代わり
こちらの誘いも平気で断る

というような関係だそうです。
わかるーーー!!

私も人の誘いはばっさり断るので、
断られても全く気にしないタイプ。

そういえば、何度か断ると誘ってくれなくなる人と
気にせず誘ってくれる人

そしてこちらが誘うともしかしたら
乗り気ではないかもしれないのに
必ずOKをくれる人と

平気で断る人
がいませんか?

私は体調不安があるので、ドタキャンも
してしまうのですが
その代わりドタキャンされても
全く問題ないです。

なんだか、そういうお付き合いの方が
自分には楽です。

むしろ、それができてこそ友達、と
言えるのではないでしょうか。

私はそんな性格で
つきあい悪いけど
みんな仲良くしてくれますw

ちなみに自分から誘えない人は、
断られるのが怖い人だそうです。


むかーーしは
人に嫌われるのが怖かったなあ・・・
人一倍。

私はずっと、
つまらない時間をすごす、無駄な時間をすごすのが
大嫌いでした。

つまらない、とは自分の役に立たない、という意味です。
仕事や勉強は例えつまらなくても、
自分のためになりますから。

そしてそんな自分を責めていました。
よくないな、無駄でもおつきあいしなくちゃ、と。
嫌われちゃう、と。

でも
そんなこと考えなくてもいいようです。
哲学的にはもちろん、
心理学的にも。

なんだかずっとモヤモヤと抱えていたものが
中島先生の本と
心屋さんの本で
一気に晴れたような気持ちw

人生は虚しい。でも、
私はそれでも
人生を楽しむ。

これが、同じ哲学でも東洋思想。
仏教思想ですね。

西洋哲学だけだと救われないですよ日本人は。
自分の中に潜って潜って潜っていくと
深い暗闇があるのが西洋ですが

東洋は、自分の中の奥深くには神仏がいるんですから。
(西洋では神様は自分の外に在ります)

そこに目を向けるのが
哲学病からなんとか救われるひとつの道だな、と
思っています。
梅原猛さんの著書にそう書かれていた意味が
いまやっとわかります。

いかがでしたでしょうか。

うまく言えませんが
本当に、なんだか清々しい気持ち。

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