ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

平凡な人生なんていや。

「平凡だけれど幸せな人生」って、どう思います?もちろんそれでいい、と言う人はとても幸せです。自分が幸せだと本気で決めたことなら、それしか幸せはないのですから。
ただし、自分をごまかしている場合は該当しませんがw

平凡だけは嫌だ、と思ったことありますか?
私はあります。それはかなり昔からで、
なぜ人は平凡に短大を出て保母さんになり結婚して仕事を辞め子供を産むという
(当時は女性はそれはとても一般的でした)のを夢にできるのかが
不思議でなりませんでした。

だから仕事もデザイナーを選びました。
平凡に事務や営業をしている、なんて人に話すのは屈辱で無理でした。
半年だけ営業事務をしたことがあるのですが、
会社も仕事も楽しかったのですが
クリエイター仲間には絶対にそれを言えませんでした。

ちなみに現代では事務、といっても
細分化された専門的PCスキルなどが必要で
私など到底できない仕事も多々ありますが(^_^;)
当時は誰でもできる仕事=事務でしたので、
今事務を好きでされている方に失礼を言いたいわけではありません。
エクセル初級の私ですからw

平凡だけは嫌です。

平凡だけれど、子どもに恵まれて
家族が仲良く、それが幸せ、

なんて
こう書いているだけで泣きたくなります。
生まれてきた意味がない、とまで思ってしまいます。

それを平気で語る人を見ると悲しくなります。
もちろん本気ならいいのですが
その瞳の奥に
自己欺瞞が見えるからです。

松任谷由美さんの歌
「街角のペシミスト」という曲に
「だけど平凡だけは嫌よ」というフレーズがあって
時々頭をかすめます。

(あの曲、今にして思えばとても哲学的、というか
哲学そのものです)

苦しくても
夢をあきらめきれない
平凡だけはいや
それだけは い・や

例え今は平凡であっても
未来は変えてみせる。

この感覚ってなんなんだろう、と
少し前から思っていましたが、

中島義道先生の本にありました。

平凡がいやで
会社を辞めて
夢を求めてしまう人

子どもがいれば幸せ、というようなつましい生活は
(実際そういう生活をしていても)
絶対にいやだ、という人

そういう人は・・・

自己愛が強い人だそうです。
がーーん!w

自己愛が強い人が欲しいのは、
他人を愛することではありません。
だから平凡だけれど家族がいるだけで幸せ、的なものに
満足がいかないわけです。

自己愛が強い人が欲しいのは、
「世間に認められること」
だそうです。
がーーーーーーん!!w

そんなものを求めていたのか!
俗物すぎる!!
いやだ!!!

と、思っても思っても
求めてしまうのです。

自己愛の強い人が求めているのは
お金ではないそうです。

自分が有名になったかどうかを
世間に認められたかどうかを
自分が非凡であるかどうかを

しかし実際はそれはたいてい得られません。
ほんの一握りの人が、芸能界で成功するように
ほんの一握りの人が、直木賞を受賞しノーベル賞に輝くように

そこで苦しみが生まれます。
それでもやはり平凡だけは嫌、なわけで。

そう思うと、
平凡だけれど幸せな毎日、こそが幸せな人は幸せ、とも言えますが

こちらはこちらで隠された問題があります。

自分をだまして幸せぶっている、なら
まだいいのですが

その感覚もマヒして、
自己の本当の感情を失うと

「仕事」や生活の奴隷になるわけです。

つまり、自分はこんな生活いやだ、と
本当は思っているのが本心の感情だったのに

いや、
天職にはつけなかったけれど、
それに近い仕事に就けた。
子どももかわいいし、
これで自分は幸せなんだ、

と思い込もうとするうちに、
そちらが本当の自分の感情のように思い込んでしまい、
本来の自分を失ってしまうという
「奴隷化」に陥ります。

まあそれでも、自分は幸せだと思えれば
それでいいのかもしれませんが。

4人の子育てに追われる友人が、
「毎日怒鳴ってばかり、疲れてへとへと、
でも子供の寝顔さえみれば、満足、と思えるようになってきたの」
と話していたのを、もう10年以上も前ですが
たまに思い出しましたが、

こういうことだったんですね。
本当の自分を失って、
環境(仕事)に従属していく。

本当の自分の感情を殺して生きているのですから
奴隷です。

奴隷は、自分のその立場がおかしい、とも
考えずに
ただ文句も言わずに奴隷になっているだけです。

なぜなら誰かに強要されたのではなく、
自分が自ら奴隷になったからです。

自由を求める人生も
奴隷になる人生も
どちらも虚しいですねw

ちなみに
平凡だけはいや、のタイプの人も

会社で平凡に仕事をしていないだけでは
自己愛を満足させられません。

好きな仕事を自由にしていても、
自分の思うとおりに非凡には生きられませんよね。
ゴミの日以外にはごみを出さずに
行きたくない結婚式にも参加し
行きたくない営業にもいくわけです。

これが、成功した人だと違います。
天才芸術家が、
俺は誰の結婚式にもでない!と豪語しても
誰もそれを責めませんよね。

芸能人なんかは、薬物で逮捕されても
すぐに復帰できます。
成功した人は、自由なわけです。

いろいろ書きましたが、
それでもやはり「平凡」は嫌です。
恐怖に近いくらいに。
(なお平凡、の定義は人によって違います。
少子化の現代では、あるいは
子どもを作らない人の方が平凡、かもしれませんし)

ちなみに本来の自分(主人)と
奴隷の話は、ヘーゲルをご参照ください。

いかがでしたでしょうか。

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