ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「自由」という刑

人間は自由の刑に処せられている

とはサルトルの有名な言葉です。

サルトル実存主義です。
実存主義とは
「実存は本質に先立つ」

つまり、人は生まれ持った何か、があるわけではなく
生まれた後のいろいろの経験や影響で
成り立っているという考え方です。

持って生まれた「お役目」などない、
(人間として社会生活を営む上での「役割」はあるけれど)
という意味ですね。

あなたはお役目で、今の仕事をしているわけではない。
それは単に、あなたが選んだだけのこと。

そう言われると不安ですか?

だからこそ自由とは残酷です。
誰も責任を取ってくれない。
神様にお役目を言いつかったからそれをしているのではない。

それは、あなたが選んで
あなたが決めてしていること。

自由と言う刑のように厳しい現実。

英雄は神に選ばれたわけではなく、
だからこそ自分で英雄をやめることができます。
犯罪者は神の罰を背負っているのではなく
だからこそ自分で犯罪を犯さないことを選択できます。

人間は自由なのです。

という思想です。

でもね。
これ、悲惨な話ではないんですよ。
前にも書きましたが、
だからこそ人間は未来に投企して生きられるのです。

自分で選び取った自由でもって
自分のなりたいものに向かって生きていけるのです。

ちなみに、神はいない、という話ではないのだそうです。
てっきりそういう話かと昔は思っていましたが。

連ドラの主人公もいっていたように
神がいたとしても、自分を生きる、ということ

つまり、結局哲学の、いえ人類のたった一つの
究極の謎である
神が「在る」のか「無い」のか
には関係なく、

人間は自由に自分の意思で未来を選び取る、ということです。

神様の責任にはできないという残酷さ。
しかし、
自分で未来を選び、その未来に向かうのに
神が在る、無い、は無関係という立場は
私にはしっくりきます。
だって、神の存在の有無を議論してもきりがないですよね。
少なくとも2013年現在、
人間はなぜ存在するのか、神がつくったのか、
わかっていないのですから。

先日も書いた通り、
神がいる、在る、と定義しても
今の生活が急変するわけではありません。
もちろん精神面では急変は可能ですが
神を確信したら急にあす大金持ちに・・・なれるといいなあW

だからこそ、現実を見て
強く生きて行こうと言う、むしろ楽天的な思想、と
言われているそうです。

もちろん考え方は人それぞれ。
何か辛いことがあっても
神様の試練、と思って乗り越えられる、というのであれば
それでいいと思います。

現代に至るまで哲学にはいろいろな思想の種類みたいな
ものがあります。
答えはないのです。
だから、自分がしっくりくるものを信じればいいのです。

自由は残酷であり、しかし
自分がなりたいものになれる、という保証でもあります。
サルトルについてはまだ、読み齧り、
見解が浅い部分もあると思いますが、
なんだか神様がいてもいなくても、
選べる未来がある、という方がうれしい、と思えるのは
自分がまだ夢に達していないからでしょうか(^_^;)

いかがでしたでしょうか。
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さて、今日はもう一つ。
この「自由」という定義について
自分はそう思わない、という反駁をいただきました。
(このブログでではありません。)
いつも書きますが、
人それぞれ、どんな思想を持とうがそれはその人の自由です。
ただ、それを「それは違う。私はこう思う」と論拠なく迫るのであれば、
それはドグマの押し付けでしかありません。

もしくはそれが論拠ある反駁であるなら、
●●という哲学者はこう言っている、ということで
お勧め本などを教えていただけるとうれしいです(^_^)

ただ、論拠の無い
「自分はこう思う」というレベルでの議論を
ロゴスでは展開するつもりはありません。

私はまだ勉強したてで、
「自由」の定義などという現代哲学でもいまだ
様々な見解がある難しいテーマについて
哲学者に並んで自分の思想を語れるほどの
知識がないからです・・ご了承くださいませ。

ドグマの押し付け苦手、な方もクリックで無知な私を励ましてやってください(^_^;)
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