ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「空」を切り出す。

ロゴス、とは言葉。真理。

西洋哲学は言葉、理論で世界を、人間を、真理を
捉えようとするものです。

それは現代科学にも通じますね。
経験や実験で現象を言葉にしていく。

言葉にできない、理論出来ないものは
科学には成り得ません。
例えば死後の世界はどうなっているのか、など。

いつの日か証明されれば
後づけで言葉になります。
世界の多くの物はそうでした。

地球が丸いと証明されるまでは
カメの甲羅の上に乗ってたんですから!w

不治の病に、原因がわかり、名前がそれからつくように
科学は常に後づけです。

だから
今この世にある、解明されていない全ての事も
いずれ解明され、理論が成り立つのかもしれません。

けれど今の時点では
わからないこともありますよね。

それもDNAや脳科学の発達でどんどん解明されていますが

例えばあの
桜の満開の下の花吹雪は
なぜこんなにもせつなく悲しい気持ちになるのか。

春になると桜が咲く。
だから農耕民族である私たちは、
ウキウキした気持ちになってしまう、
というのがDNAに刻まれているのでは、というのなら
なぜウキウキした気持ちだけではなく
あの
悲しいような切ないような
あの

あの感じになるのでしょうね?

私たちが

と言ったとき、

人間の形を思い出しますか?
まあ、信者の人はそうかもしれませんが

神、といえば
天照大御神

と考えるのは神道の方で

普通は
人間の形ではない、
もっと観念的なものを想像しませんか?

自然の、
しかし自然のなにか、
例えば太陽とか岩とか木そのもの、という
わけではない

森=神というのでもない

神とはなにか気配のようなもの、というか

ちなみに日本はアニミズム、と言う人もいますが
それは間違っているそうです。
アニミズムとは妖精、精霊を信じるもの。
確かに、自然の中の精霊・・
木の精霊、
岩の精霊、と言えば近いものがありますが
日本人の観念では外国のアニミズムの、
木に住む精霊、というようなものとは
違うそうです。

言葉では言えない・・・

でもこれ、なんとなくわかるような気がしませんか?

白洲次郎の奥さん、白洲正子はこれを
日本人の「あれ」と呼びました。

あれ、としか言いようがない、
けれど
皆がなぜかわかっているような気がするもの。

そういうものが、確かにあります。

私は霊の存在、とか信じたくない・・・怖いので(^_^;)
見たくもないし。
キリスト教も仏教も霊の存在は否定しています。

でも、
この、「怖い」という何とも言えない感じ。
これこそが
見えない、言葉にできない、でも
あるもの、と言えることなのかもしれません。

日本にはこの、理論がたたない、けれど
感じてしまう、というものが確かにある。
五木寛之 『霊の発見』参照)

この言葉にできない、
理論がたたない

けれどこの世の理になっているであろうこと
例えば
神の存在など・・・

これを空(くう)と呼びます。

私たちが必死に、言葉にならないもの、
写真にも取れないもの、を
「描く」行為は

空の一部を切り出したものだそうです。

確かに頭の中にあるのに
どこにもない景色。
景色だけでなく、なんというか
絵で共感するような、

説明はできない、でもこれなつかしい、とか
元気がでる、とか悲しい、とか

それは
理論出来ないけれど
桜をみるとうれしいと同時に悲しいような
あの感覚の共有ということと同じです。

哲学と宗教学、そして制作。
どれも全然違うようで、私の中ではものすごくつながっていて
どれが欠けても、自分の追っているものに
ならなかった気がします。

哲学という理論だけでは語り得ない。
宗教と言う観念は、中に入りこめない。
制作と言う実践無しには、アウトプット、体現の先がなく
単なる机上の論理になりかねない。

(ちなみに体現、実践は
瞑想や学問、武道や弓道などの「道」でも可能だそうです)

言葉にできないもの、も
理論と同じくらい大切、なんですね。

いかがでしたでしょうか。

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