ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「生まれ変わり」って?

生まれ変わりを信じている人が多いですが。
生まれ変わりってそもそもなんでしょうね?

もちろんあるのかないのかについては議論が分かれるにしても、
「ある」とする人は、どういう原理で、どういう定義で
あると言うのでしょう?

ただ、なんとなくそんな気がするから?
そうどこかで誰かに聞いたから?
「魂」が知っているから?w

「w」をつけてしまいましたが、
本当の意味で魂が知っている、という人は
アカデミックな宗教学で、いる、としています。
それはブッダ一人なのですが、
そのクラスの覚醒した人は他にもいると
言われているそうです。

どうしたら悟れるのか。
それは瞑想などの修行以外にないそうですが。

でも、そのクラスの人であればあるいは
輪廻の理もわかっているのかもしれません。
世界で数人と言われています。

もちろん自分で勝手に信じる分には自由です。
あるかないかの確率はいつまでたっても二分の一なのですから。

しかしお金をとって
あなたに生まれ変わりを説く人は、その世界の数人のうちの
ひとり、ですか?
もしくは、少なくとも学問的に(つまり宗教の正しい教義の学問)
説明ができる人ですか?

こういう点を注意すれば正しい宗教・スピリチュアルと
そうでない宗教・スピリチュアルの見分ける規準に
なります。大学で強調されました。
偽物は非常に多く本物は本当に少しだそうです。

さて生まれ変わり。

生まれ変わりって、何が生まれ変わるんでしょう?
魂でしょうか?

魂が永遠である、だから生まれ変わる
というのであれば
魂は不滅、と言うことですから、
生まれ変わるのはつまり、肉体の方になりますよね。

生まれ変わり、とはつまり
肉体のことです。

人間の魂、というかなにか根源のようなものは
同じ、でも入れものが変わるので
昔の情報も忘れてしまうわけですね。
脳が変わるわけですから。

前世の記憶がある、と言う人は、なので
記憶するという脳の機能までも
再現していることになります。

実際脳科学が発達すればあるいはそういうことも
可能かもしれません。
SF映画にあるように。
むしろそちらの方が、肉体の機能を
信じている人たち、ということになりますね。

ともあれこの
魂というか、私たちの根源そのもの、
これがアートマンです。

アートマンは何もしません。できません。
ただ「見ている」だけ。

ところで、心(感情も)と体を二つに分けて考えるのが、
明治維新から西洋思想の導入が進んだ日本では
主流になっていました。
心と体、とよく言いますよね。

例えば、
「私の身体が痛い」と思うのは
心の方ですね。

では、辛いことがあって
「私の心が痛い、辛い」と思うのは?

そう思うこれこそ、魂の根源、種のようなもの
それがアートマンです。
自分では何もできない、ただ見つめるだけ。

身体がなければ、脳もなくなり記憶もなくします。
心がなければ、人生を味わうこともできません。

このアートマン、魂にあたる部分は
西洋思想では、気づかれずにいました。
デカルトの言う、コギト、
つまり自分の存在を疑う自分、というのも
心の働きにすぎません。

けれど東洋思想、つまり
インドでは何千年も前に、魂の存在に
気付いていました。

近年、
私たちは大学で、
人とは
体、心、魂
で成っていると考えられる、と習います。

心と体、だけではなく。

西洋はなんでも素晴らしい、と
必死に取り入れてきたのに
それよりも優れた思想がもともと東洋にあった、
とやっと気づいたというところですw

このアートマンと言われる部分。
これと一体化することが解脱、つまり
簡単に言うと、魂が上の段階にいくことです。

それには瞑想の実践が必要です。
もちろん凡人が少し瞑想したからと言って
到達できるレベルではないそうです。
世界で数人ですから。

このアートマンを、神と呼ぶこともできます。
つまり世界を創った神、とは
私たちの根源でもあるのです。
そう考えるのは自然に思えます。

だからこそ、東洋思想では神は自分の中にいるのです。

アブラハム系、つまりキリスト教ユダヤ教イスラーム
一神教では違います。
神はこの世のすべての創造物、宇宙全体の外側にあるようなもので、
人間は到達できない別の物、という考え方です。

ヨーガや仏教では瞑想が盛んなのは
アートマンとの一体を目指すからなんですね。

さてこの解脱をはかれた者は
輪廻転生の輪から抜け出すことができます。

生まれ変わり、を善いイメージに捉えることもありますが
それはカルマが残っているからで、
カルマが解消されれば生まれ変わらないで済む、と
耳にしたこともありますよね。

生きることは苦しく虚しい。
生まれ変わるこの輪廻から
抜け出すことが幸せになる道なのです。

キリスト教では思想が違いますが
やはり神の国で神と暮らすことを目的としますから
この世の苦しさに変わりはないようです。

生まれ変わりが実際にあるのかどうかは
わかり得ませんが
魂がどんどんどこかから発生してくると考えるよりも
原子のように使いまわされている、と
考えた方が自然が気もしますよね。

と、大学で哲学の講義で先生に習ったときはピンと
きませんでしたが
今は、その通りだと思えています。

としたら生まれ変わりはある、と
考えた方が自然なのですが

しかし理論的には生まれ「変わり」
つまり、変わる必要があります。
変わったのは心と体だけ。魂はそのままなのだとしたら
生まれ「変わって」はいない、ということになるそうです。

このアートマンの思想はインド哲学のひとつ、
サーンキヤ哲学の思想です。
もっともサーンキヤ哲学ではアートマンブラフマン、という
いいかたはせずに
プルシャ、プラクリティと言うそうです。

生まれ変わり、
と聞くだけで、「ああー・・・好きだよねそういうの」
と思ってきましたが

キチンとした思想が根底にはあったわけです。
もちろんここに書いたのはごくごく一部ですが。

いかがでしたでしょうか。

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