ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

好きなことしかしない。

好きなことしかしないで
生きていけたら幸せですよね。

でも、当然ながら
好きなことだけするリスクもあります。

例えば一般的な(と、私が思っている)
好きではないこと、を考えると…

嫌な仕事を辞めてしまう。

行きたくないお付き合いの飲み会には
いっさい行かない。

親の介護をしたくないからしない。

部屋の片付けはしない。

勉強しない。

嫌いな人とは話さない。

などなど。

書いてるだけですっきりしますねえwww

特に社会人が好きなことだけしよう、と考えると
仕事にまつわることがほとんどになりますよね。

たまにご紹介する
心屋さんのブログ
ずっと前に書いてあったのですが

・・・いいのだそうです。
親の介護はしない、でも
仕事を辞める、でも。

その責任はどうとってくれるんだ!
と思いがちですが(笑)もちろんその責任は自分にありますよ。

でも、その前に、「ダメだ」と思い込んでいませんか?
考えてみたら、
誰にいけないと言われたのでしょうね?
いけないわけではありませんよね。
実際親の介護をしない人も、仕事を辞めちゃう人も
たくさんいます。

いけない、のではなく
自分が「選んで」やらない、できないだけで。

先日心屋さんの本を読んだら、
嫌なことは、楽しい、と言いながら
やれば楽しい、と思うようになる
とありましたので
まあやはりやるしかないこと、というのは
在ると言う意味でしょうけれど
(でも、これも案外効きますよ。
セフルマインドコントロール。)

けっこう衝撃的でした。

考えたら
すべてを投げ打って歴史に名を残すような人もいます。
ブッダは王位、つまり親や国民、
妻子まで捨てましたし。

そもそも何かを成し得た人は
他の何かをある程度は
切り捨てざるを得ないのではないでしょうか。

としたら、
好きなこと以外の事を、こんな短い人生の中で
長時間するのはなんと悲しいことでしょう。

極論しますが、
トイレ掃除をしたけどお金持ちにはなれなかったので(笑)
もうしたくない!
と言うのであれば
しなくていいんですよ。

汚いトイレで我慢する、という責任をとればいいだけで。
別にしなくてはいけないと言うことは
なかったんです。
しなければ誰か他の人がするかもしれません。
その人はトイレ掃除をするとお金持ちになるタイプの人で
むしろ感謝されるかもしれませんしw

最近流行の心理学系、成功哲学系の本にあるように、
人は
好きなことだけしかしなかったら
本当に人生がうまく行くのでしょうか。

私はしばしそれを実践してみるつもりです。
しばし、と付けるのはまだ勇気が中途半端だからです(笑)

これは覚悟がいりますねホントに(笑)

まずしたくない仕事はしないことにしました。
したくない勉強もしないことにしました。
若い頃ならとにかく、
今余計なことを学ぶ時間で、したいことや
他に学びたいことがたくさんたくさんあるので。

お金は他の方法で稼げばいいわけです。
就職難、と言いますが
仕事は実際けっこうあります。
ただ、やりたい仕事、できる仕事、と
なかなか出会えないだけで。

したくない仕事を断るのも
けっこう勇気がいりましたよ。金銭的な問題以外に。

前なら必ずお受けしていた仕事も、
お断りします。
気まずいし、
私を使えない奴だと思うでしょう。

でもそれでもいい。
そう思われることで私に何の不利益があるのでしょう。
ドタキャンをして迷惑をかける、というわけでもないのです。
私のかわりはいくらでもいます。

断れないのは、
自分は役に立つ、というのを証明したいから。

それでしたくもないことをやる、
なんて
疲れるだけですよね・・・。

と、わかっていてもなかなか乗り越えられずに
今日まで生きてきたわけですが。

そしてもう一つ。周りの目。

友人たちの、優しい、心からの、
しかし自分たちの価値観でしかない
アドバイス
もしくは勝手に自分で想像しただけのまわりの反応です。

つまり

これをしたら、
しなかったら、

周りの人になんと思われるだろう。
きっと軽蔑されるだろう。
きっと非難をうけるだろう。

それは推測でしかありません。
だから気にしなくていいのです。
まわりは許してくれます。愛してくれています・・・
という
理論で納得できる人はそれでもいいのですがww

納得できない私のような人には

軽蔑されても非難されてもいい

というのがしっくりくるかと思います。

実は昨日私は、夜の九時から打ち合わせの呼び出し。
以前なら間違いなく行っていました。
迷いつつ、ストレスを感じつつ。

でもお断りしました。
他の日の早い時間にして欲しいと。

すると、参加は必至ではないとのこと。
最初の連絡には、必ず出席のこと、とあったので覚悟しましたが、
数人の人に向けてのメールだったのでそう書いてあっただけで、
私は必須ではなかったようです。

断ってみればなんのことはない、
でも断らなかったら、体調の悪い中、
出かけて行っていたと思います。
その時はきっと
「こんな仕事いや!!もう無理!!」と
ストレスを感じながら・・・
そしてその仕事は、「好きなこと」ではなくなってしまった
はずです。

断ったおかげで、その仕事は
好きなこと、のままです。

それで非難されることもなかったですし
これで評価が下がることもないと思います。
また、下がってもいい、と思っています。

一日の三分の二以上を、好きではないことに費やすなら
それは「奴隷」だそうです。
(典拠を失念しました。
ヘーゲルの解説の中島義道「哲学塾講義」だったと思います)

お金のために
家族のために
何かのために
「好きではないのに」するのは
奴隷です。
(とはいえ、同じことをしていても
好きなこと、であればいいわけです。
自分が、好きで彼女の足になって送り迎えをするなら
それは奴隷ではないのです。)

自分は自分の人生の主人になりたい。
そうなるには
自分の好きなことをするしかない。

好きなことだけをしても、
人に批判されない、
誰もダメだと言わない、
なぜなら愛されているから、

と思うのが心屋さんによるといいようですが

それが信じられない人は

人に批判されてもいい
ダメだと言われてもいい

と思うといいと思います。
(でもこちらも心屋さんが他の日に書かれていました)

そのかわり、
「自分は自分にダメ出ししない」
だったらできるような気がしませんか?

とはいえ、
リスクを背負うのは確かで、
好きなことだけして生きると
本当に幸せになれるのかを私が実際経験したわけではないので
私はお勧めできる立場にはありません。

自分にできないことを、人に勧める、って
説得力ありませんよねw

なので!
経験主義尊重の私としてはw

自分で実践します。
そして本当だ、と思えたらシェアいたしますね。
切り込み隊長、と呼んでくださいw

できそうな方で、
いまの状況を打破したいような方は
ぜひ一緒に始めてみませんか?

倫理に反さない、まあ
わかりやすいところで
犯罪を犯さない限りは

好きに生きる。
例え誰かに迷惑をかけても、です。

これもまた覚悟が必要ですがw

人間は好きに生きてもいい。
いいんですよ。
当たり前だけど、でも
できずにきたこと。

好きに、生きてもいい。

自分で選んだ人生であるならば。

いかがでしたでしょうか。

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