ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

死と時間の観念

私たちが生まれて、生きて、死ぬ。
死とは直線に流れる私たちの時間の
途切れた、終わったところ、
というように考えたりしませんか?

時間とはまっすぐ過去から未来に流れていて、
私たちはその長い時間の中の一部に生きている存在。
図で表すと、誰もが頭に同じものを浮かべそうです。

           私の人生 
時間ーーーーーーーーーlーーーーlーーーーーーーー→
             ↑イマココ

みたいな?!w

とはいえ以前も書きましたように
時間とはまっすぐ過去から未来に進んでいるものではないそうです。

これ、なかなか時間とはなにか、が
理論ではわかったつもりでも、
(いや実際理論でもわかっていないような・・・)

どうしても時間は過去から未来に一直線にながれているとしか感じられなくて
感覚で理解できず(−_−;)

皆さんはいかがでしょうか…。
ここが理解できないと、死とは何かも理解できないそうです。

そこで最近お気に入りの
中島義道先生の時間論を考察して見ました。

過去、とはそもそも何か。

例えば川の流れをずっとみている間、
その間どんどん過ぎ行く時間を、
私たちは過去だと認識しつつ
川を見たりしませんよね。
今、今、今、今・・・の連続です。

でも川を離れ、土手を歩く時
さっきまで川を見ていたことは
「過去」
となります。
確かにそう感じませんか。

つまり過去とは、
人間が想起した時初めて「過去」になるわけです。

これ!凄くないですか?!
つまり人間が想起しない限り、
それは過去になり得ないわけです。

そう思うと時間とは
人間の想起がないと存在しないことになります。

そう考えると死後、はどうでしょう。

例えば夢も見ずにぐっすり眠ったり、
気を失ってその間の記憶がない場合。

自分にとっては「無」だった、と
言えることができます。

しかしそう言えるのは、
今、それを想起できるからです。

死とは全くの無であった場合
想起はし得ませんので、
死んだあと、人生を過去、のように
見ることはできませんから

それが無であるのかどうかも
時間の観念もなにもかも
想起しえない、ということになります。

つまりもし地球に人間がいなかったら
「時間」は存在しないということになりますね。

言われてみればその通りですが
なんだか愕然としてしまいます。

しかし
ずっと昔、子供時代の記憶を
「まるで昨日のように」思い出せたりしませんか?

「想起」こそが過去を作るのですから

カレンダー、つまり
地球の自転だとか公転だとかは、
本当は時間には関係ないことですよね。

身体が年老いていく原因も
DNA解析など最新の科学で
その一端が解明されてきました。
あるいは、老化を止められるかもしれない、
その可能性はないとは言い切れないそうだ、

ということは

老いが時間の証明になるわけでもないと
言うことですよね。

カレンダーも
時計も
老いも
「時間」に関係ない。

少しだけわかったような。
しかしでもやはり長年の先入観は払拭できませんね(^_^;)

時間が未来にむかってまっすぐ
人類が成長しつつ進んでいるわけではないという事実を
感覚で理解できたら

ものすごく人生が変わると思うのですが。

いかがでしたでしょうか。
今日もまた気の効いた教訓の無いブログになってしまいましたがw
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